- 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと69
957 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/03/18(日) 18:28:38.10 ID:FPuI6Pr1 - >>954
真相はどうか知らないけど、オークションサイトでは創価班ジャケットが複数出品されている。 また、人材グループに配られる非売品グッズも大量出品。 人材グループ経験者でさえも大量脱会しているという事実なわけだけど、そのせいで創価グッズも世に出回っている。 だからって、創価のふりした者の犯行ってわけじゃない。 創価学会、特に創価班や牙城会の指導における敵(特に正宗)への憎悪の焚き付けはテロリスト養成くらい徹底されているからね。 ただ個人的には、創価が泡沫候補の幸福の科学を真剣に相手にするかなっていう疑問がある。
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- 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと69
962 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/03/18(日) 19:10:10.40 ID:FPuI6Pr1 - 創価学会は平和を説く。
その一貫として、創価は絶対正義であるとして、創価と相反する教えを悪や邪と定義して、それらを平和を妨げる仏敵であると定義付けて、それらの悪や邪を滅することが平和に導く正義の行いであるとして敵を攻撃する。 この創価の理念と行動を一言で表すなら「聖戦」。 これって撞着語ってやつだな。 聖なる戦い。 戦いに聖や俗があるのかという当然の疑問が生じる。 戦いは相手を痛め付けて命さえ奪う行為。そこに聖はあり得ない。 しかし、創価学会の平和とは濁悪の世を糺すことを言い、創価学会の行く手を阻むものを濁として排除、または折って伏させる。 創価による同じ人間を濁扱いして粉砕することが聖なる行いとする行為は、ジハードやオウムのポアに類似する概念。 創価学会員の脳内では、ガンジーの非暴力精神と、日蓮の破邪顕正の排他精神が同居する。 この非暴力と攻撃的な排他精神という相矛盾するものの同居とは、先程の撞着に相当し、まともな精神では受け付けられない。 この本来混ざり合わない両極の一致を可能にするのは、師弟の絆と言える。 平和と攻撃、お互い矛盾する行為ではあっても、同じ師匠が両方を指示すれば、それは師匠の意思として弟子の中では聖と俗の両極の一致を果たす。 創価学会員の心の中での聖(平和)と俗(戦い)の統合という精神錯乱。 その両極の一致の精神錯乱を、信者の心のなかで信心活動としてアウフヘーベンする池田大作。 創価学会の師弟不二とは、師匠の為に聖なる攻撃を正当化する、麗しき狂気である。
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- 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと69
971 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/03/18(日) 20:17:02.68 ID:FPuI6Pr1 - >>967
そこが、せっかく創価を離れたとしても法華講とかに行っちゃう理由じゃないかな。 創価学会員は実は信念を持っている。 「自分は正しい」という信念。 だけど、この「自分は正しい」という創価学会員の信念は何かに依存しなければ成りたたない。 自分は正しいと理論武装してくれる教えが必要。 創価学会員はヤドカリのように宿を探す。 「自分は正しい」という自分の信念を理論武装してくれる宿を。 ただ、どんな宿でも完璧で絶対正しい宿なんかはありはしない。 だから、自分は正しいと誤魔化し続けるか、正しさを求めて正宗や創価や世間の依存先を行ったり来たり。 結局は創価でも法華講でも「自分は正しい」という信念は依存先を必要とする。 自分は正しいという信念は、依存先を失うと不安や恐れにさいなまれる。 自分は正しいという信念は、虚妄ゆえにどんな方法をとっても自立が不可能。 創価学会員や法華講が自立しようとしたら「自分は正しい」という信念を捨てなければならないいけない。 けど、難しいだろうね。 自分が依存してきた「自分が正しい」という宿を捨てる決心をすると、その自立の決心を創価や法華講は魔と呼ぶ。 創価や正宗は「自分は正しい」という己の自惚れの信念が招いた蟻地獄と言えよう。
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- 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと69
975 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/03/18(日) 22:00:56.46 ID:FPuI6Pr1 - 創価学会にすがるというのは、創価学会から自分の物語を与えてもらうという意味合いが強いような気がする。
創価学会から与えてもらう自分の物語というのは、とにかく自分の生き方を崇高にする物語。 婦人部だったら、強い母という物語。 女子部だったら、福運豊かな女性という物語。 男子部だったら、正義の獅子という物語。 これ以外にいくらでもあるけど、人間は自分の生き方がドラマチィックであって欲しい。 創価に集まるのは、創価の平和主義の通りに「世のため人のために動く良い人」という自分の人格を演じたがる人達。 いわゆる善人願望。 創価学会とは、会員に「自分は世の困った人たちを助ける菩薩」という役割と物語を与えてくれる。 創価学会員はこの役割を買ってでて、率先して学会活動を行い、その活動の中に「世のため人のために活躍した自分」という物語を見いだしていく。 その「私は世のため人のために働いている努力家」という物語のお披露目の場が創価学会の会合であり、座談会であり、体験発表。 創価学会員は、創価学会という組織を通して理想の自分を演じ、その理想の行動を「勝利体験、功徳体験、友情体験、正義体験」などとして、自分のストーリー、すなわち自分の人生を祭り上げる。 この自分の人生を善人に祭り上げる場や善人ストーリーを共同で作ってくれるのがカルト宗教。 善人をリーズナブルに演じたい人達を客として集める手法は、カルト宗教が独占市場。 創価学会にすがるとは、自分の勝利の人生物語を築くために、創価学会が提供する平和主義者や利他の善人ストーリーに自分を重ね合わせて、良い人を演じ積み重ね続けること。
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