- 大石寺教義と板本尊真偽論の考察3 [無断転載禁止]©2ch.net
387 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/02/20(火) 10:59:50.78 ID:4EupxHyp - >>332
https://ameblo.jp/wwwpeople/entry-10647189259.html 創価ネタで思わずワロタw 11月に教学部任用試験が行われるそうである。 【以下教学部任用試験における日常的評価点について抜粋】 本年2月4月9月の御書講義の受講回数、これまでの任用試験受験回数、聖教新聞の購読(マイ聖教)も日常評価点として考慮します 【抜粋終わり】 日常評価点のポイントは3つあるようですね。 @御書講義の受講回数 A受験回数 Bおい、聖教新聞たっぷり買ってるか? @は許す。合理性があるといえる。Aは突っ込み所が多数あるが、オチが素晴らしいのでスルー。 でもってオチのB 聖教新聞沢山買ったら任用試験に受かり易くなるんだって(笑) さすが創価学会。金で試験の点数が買えるそーですよwww 創価学会って本当に露骨に金集めてますね。カルト宗教丸出しで僕は嬉しい
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- 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと68
405 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/02/20(火) 19:41:49.29 ID:4EupxHyp - >>322
変性意識の話が出たので、創価と変性意識について私見を交えて考察してみたいと思います。 宗教には宗教体験がつきものですね。 この宗教体験は、変性意識と呼ばれたり至高体験とも呼ばれたりします。 創価においては、なんみょ〜は歓喜の中の大歓喜と言ったりしますね。 このえもいわれぬ宗教体験目的のために、信者は宗教活動の熱心さを増したりします。 じゃあ、変性意識や宗教体験ってなんでしょう? 体験の種類は宗教により様々なので一概には表現できませんが、一般的には忘我の境地と見ることが可能です。 似たようなものとして、ランナーズハイ、ドラッグによるトリップ体験、アイソレ―ションタンクによる超越体験、臨死体験等があったりします。 これらは、意識が飛ぶというか、肉体から意識が離れるというか、意識が研ぎ清まされるというか、個人という感覚が失われるというか、とにかく通常安定している我という感覚に変容が起こります。 これらの意識の変性状態はトランスパーソナル心理学によって研究対象とされ、人間の心理の超越面を解き明かす重要なポイントとされています。 トランスパーソナルとは、個を越える、忘我といった意味合いです。 悟り体験とも似ています。 私は、これらの様々なの宗教体験において、創価の宗教体験に特殊性を見ます。 明らかに創価の宗教体験は、他の宗教体験と異なります。 そこにこそ創価学会が創価学会たる由縁を見ます。
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- 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと68
406 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/02/20(火) 20:02:42.47 ID:4EupxHyp - 宗教の目的とは、究極的には悟りを求めるものと言って良いと思います。
この悟りと、宗教体験や変性意識状態とはどのような関係にあるのでしょうか? 宗教においては、雑念を無くしたり、忘我や無想無念が良しとされたりしてきました。 つまり、意識が静まったり我がない状態です。 これは何を意味するのでしょうか? 変性意識状態の際に起こる状態の特徴としては、肉体感覚が無くなり、意識の感覚が非常に鋭敏になったり自由になったりという報告が上げられます。 他人の心が読めてしまいそれが実際当たっていたとか、意識が肉体を離れて神や仏様や観音様に会って温かく包まれるとか、想像を越えた経験も数多く報告されています。 これらは何を意味するかというと、意識とは個人に縛られるものではなく、可変的なもの、収縮拡大するもの、肉体を離れて自由自在なもの、と表現することが出来ます。 心理学者のユングは、人類が宇宙に飛び立つ前の時代に幽体離脱体験をして、地球の青さを見ていたことを自伝で述べています。 この意識の自由自在さと宗教体験が、悟りと何か関係してくるようです。
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- 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと68
408 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/02/20(火) 20:27:51.08 ID:4EupxHyp - 宗教体験の究極である悟り体験とは何かを考える前に、悟りと逆の状態を考えてみたいと思います。
悟りの逆とは、苦しみ、悲しみ、怒り、執着等です。 人は、これらの苦しみや煩悩から逃れたくて宗教にすがり祈ります。 そして、日常の苦しみや未来への悲観が、宗教の祈りや活動によって克服できると期待します。 この苦しみや将来への不安から逃れる方法は、大きく分けて2つあると考えます。 一.他力本願的に苦しみや不安要素の物理的根絶を願う。 自力本願的に祈りによって元気を得て困難を克服する。 二.苦しみとは、自分の肉体への執着によって生じることを認識する。 祈りによって意識を拡大し、肉体や個人への執着を解き放ち、自分は肉体に縛られない永遠普遍(仏)な存在である境地を会得する。 宗教の本来の目的はこの一と二のどちらかといったら、私は二だと考えます。 一の祈りとは、変性意識で言うならば、今流行りの「引き寄せの法則」みたいなもんです。 人間の欲望を叶えたり苦しみを克服するための祈りであり、この欲望への執着が、欲するものを自分に呼び寄せ、嫌なものを根絶、遠ざけようとする意識を高めます。 そしてその高まった意識が脳や体の能動性を高めて環境に変化を与え、目的を実現しやすくします。 創価学会の祈りはこの一のタイプだと思います。
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- 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと68
410 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/02/20(火) 20:50:12.36 ID:4EupxHyp - 宗教本来の祈りである二の事例とは、目的達成の為の祈りではなく、本来の自分を認識するための祈りです。
宗教体験が無念無想や忘我状態を追い求める理由とは、本来の自分は自我という肉体に縛られた存在ではないからです。 本来私達の本質とは、自由な意識であり、その意識は宇宙大にまで拡大します。 実際のところは、意識が宇宙を作り出しています。 仏教においては唯識思想に該当します。 宗教が目指すべき変性意識とは、この唯識に基づく、己と意識と宇宙は等身大であり、分離したものではないとう感覚です。 この状態、つまり悟りに至ると、苦しみや杞憂とは自分を肉体と見なす行動が生み出していることに気づきます。 つまり、自我という「自分を個人と見なす性質」が、悟りを妨げています。 ですので、自力本願で願いを叶えようとか、心理的、あるいは肉体的に勝利を得ようとかいう祈りは、自我に基づく祈りです。 つまり創価の祈りです。 この自我に基づく祈りにより生じる変性意識、つまり歓喜の中の大歓喜は引き寄せ効果をもたらしはします。 しかし、絶対に悟りはもたらしません。 なぜなら、目的達成や勝利の祈りとは自我に執着する祈り、つまり本来普遍的な意識を肉体や心理の執着に閉じ込める祈りだからです。 物理的、心理的な目的を叶えたければ、創価の祈りがもたらす引き寄せ効果は役に立ちます。 しかし、事実そうであるように、肉体や心理への執着を解き放つ意識の普遍性や悟りを得ることは、創価の祈りでは叶いません。
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