- 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと65
429 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/01/01(月) 09:06:04.28 ID:eegDw0/t - 創価学会は、宗教に優劣を元にする等級や階層の概念を持ち込んだ。
このような優劣の発想は、平等を旨とする仏教においては実際は異常な考え方。 しかし、日本では鎌倉以降宗派仏教が根付いてしまっている。 そのために、同じ仏教でありながら「おらが宗祖が一番偉い」という優劣感情が信者に内包されていた。 南無妙法蓮華経がご利益no1だ、いや、阿弥陀様の天国のご利益のほうがありがたい。 その宗派ごとに異なる宗祖や教義が、仏教徒の縦割りを生じさせ、宗派どうしのお互い優劣感を生じさせ、競争の種を孕んでいた。 創価学会はこの宗派仏教が根付いた日本において、民衆が無意識に抱いていた宗派どうしの優劣意識による競争の種をうまく利用した。 戦後の経済競争社会において、創価学会は民衆に潜在していた縦割り宗派文化から生じた優劣意識を利用した。 そして創価学会は、宗教分野にも競争の火をつけることに成功した。 この宗派競争で勝利を勝ち取る為には、正邪という優劣意識に犯された日蓮と、日蓮の唯一の正しい後継を名乗る日興の教義体型が最適であった。 日蓮正宗教義は、自らを宗教における最上級の等級と見なすことにおいて欠かせない根拠付けの最良の材料になり得た。 創価とは、思想の縦割りを最大限に利用した組織。 自らの縦割り思想を最上級の物として、他の縦割り思想を劣ったものとして攻撃・破壊を正当化する。 そして破壊(折伏)のうえ吸収しようとする。 実際折伏大行進においてそうした。 この同じ特徴がもっとも良く出ているのが、創価と同じ日興や日蓮正宗の流れをくむ顕正会。 日蓮正宗、創価学会、顕正会、カルトの共通の性質とは、仏教の平等性を否定する縦割り意識。 そしてこれらの宗教の各微妙な違いは、縦割り意識の特徴の顕れ方の違いでしかなく、本質的には同じ。 よって、これらの宗教は争いを逃れられない。 自らが唯一正しいという、縦割り意識から生じる等級付けをやめない限りは。
|
- 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと65
442 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/01/01(月) 13:02:33.02 ID:eegDw0/t - 創価学会に代表される、日興系の正統派日蓮ブームは終わってしまった。
日興系の正統派日蓮とは、当然日蓮正宗から派生した創価顕正などの団体群である。 上座部仏教の発展しなかった日本においては、宗教の目的は悟りよりもご利益に重視が置かれた。 そして長年、どの宗派に最も利益があるのかという民衆の疑問や葛藤が解決されずに置かれた。 その疑問や葛藤の解決が、同じく利益を求める高度経済成長期において、宗教分野でご利益競争の形で花開いた。 新興宗教は民衆の支持を得るために、鎌倉仏教の宗祖の思想を利益面や平和面で拡大解釈し、優劣を競いあった。 そして、民衆は縦割り化された新興宗教の中で最も勢いのあるものに魅せられた。 それが創価学会。 創価学会員は、地方から都市に夢を求めてきた農村の子息などが多かった。 彼ら彼女らは、仏教に悟り等を求めていない。 実家の先祖の宗派などに興味などない。 彼ら彼女らは、優れた家電メーカーの家電製品選ぶノリで優れた宗教を選んでいる感覚だった。 松下幸之助と池田は馬が合った。 家電が家庭を豊にして世界の人々の暮らしが良くなり平和をもたらす松下の感覚と、創価学会の宿命転換ご利益信仰は極めて類似しているのだ。 しかし、家電の興隆も創価の興隆も、文明社会の物の豊かさから心の豊かさへの転換においてストップしてしまう。 その理由は、家電にしても日蓮正宗系にしても、「肉体や脳を満足させるための媒体」でしかなかったからだ。 家電は肉体を楽にして享楽を与える。 日蓮正宗系は、現世利益を通して肉体に宿命転換や成仏を保証して脳を満足させた。 しかしそれがなんだというのだろう。 人類は、物や現世利益では一時的な満足しか得られなかったのだ。 宿命転換や成仏は脳内の戯言でしかない。 なぜならというか、その証拠に、日蓮正宗系には悟った僧侶や信徒が一切出てこない。 日蓮正宗系に残っている信者は、家電普及は世界を平和する的な、自己が保持する思想を正義として、その正義を自己と重ね合わせ続けたい夢遊病者のみ。
|
- 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと65
444 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/01/01(月) 13:12:08.24 ID:eegDw0/t - しかし、これも必然の道。
戦後の雨後の筍のような新興宗教の勃興とは、日本人にとって「宗教には優劣はあるのか」「宗教には本当にご利益があるのか」という一大実験であった。 この実験が失敗に終わったのだ。 宗教には優劣はない。 宗教のご利益は自己満足でしかない。 この理解から、日本人は新興宗教から自己啓発やスピリチャルや引き寄せなどに方向転換。 しかし、テレビを席巻したそれらも飽きられつつある。 今になって、テーラワーダ仏教、あるいは小乗や大乗に片寄らない立場で包括的に仏教を紹介する多くの書籍が書店に並んでベストセラー。 日本人は宗教選択の失敗を重ねて、縦割り仏教宗派に見切りをつけ、本気で仏教の原点に帰ろうとしている。
|