- 【荘厳】創価の新ルールを決めてやるスレ【化義】
405 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2015/04/08(水) 12:41:14.07 ID:C+nQJpsD - ▽筏の喩
比丘たちよ、教え(法)というものは筏(いかだ)のようなものであることをなんじらに示そう。 譬えば街道を歩いて行く人があって、途中で大水流を見たとしよう。そしてこちらの岸は危険で 恐ろしく、かなたの岸は安穏で恐ろしくないとしよう。しかもこちらの岸からかなたの岸に行くのに 渡舟もなく、また橋もないとしよう。そのときその人は、草、木、枝、葉を集めて筏を組み、その 筏に依って手足で努めて安全に彼方の岸に渡ったとしよう。 かれが渡り終わってかなたの岸に達した ときに、次のように考えたとしよう。すなわち『この筏は実にわれを益することが多かった。 われはこの筏に依って手足で努めてかなたの岸に渡り終えた。さあ、わたくしはこの筏を頭に載せ、 あるいは肩に担いで、欲するがままに進もう』と。なんじらはそれをどうおもうか?そのひとが このようにしたならば、その筏に対してなすべきことをしたのであろうか? そうではありません、師よ。 比丘たちよ、教え(法)とは筏のようなものであると知るとき、なんじらはたとえ善き教え(法)でも 捨て去るべきである。悪しきものならばなおさらのことである。 (マッジマ・ニカーヤ 22)
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