- 【荘厳】創価の新ルールを決めてやるスレ【化義】
381 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2015/03/25(水) 22:53:35.16 ID:IhL68vXd - ブッダは言われた。「カッサパ菩薩、例えばある人が月が出ていないのを見て
もう月は西に沈んでしまったと思い込んでいることを考えてみよう。 実際には西に 沈んでいなかったのだ。 一方、他の地方では月が現れたので、そこの人たちは月が出ていると言った。 しかし実は月が出たということはなかっ たのだ。 なぜかというと、ヒマラヤ山に遮られて見えなかったにすぎな いからである。 実は月はすでに空にかかっており、月そのものが出たり、沈んだりしていたのではない。 如来もこの月と同じである。・・・如来 そのものは本当は生ずることも滅することもない。 ただ人々に生じたも のは必ず滅することを教えるために涅槃に入ることを示しているのだ。 カッサパ菩薩、月を一つの方角からは半月に見て、他の方角からは満月 に見ていることを考えてみよう。 国内の人々は月が空にはじめて出たときを、その月の第一日といい、 満月になると、その月の十五日という。人々は日々に月が満ちてゆ く形を見ているが、 月そのものは満ちたり、欠けたりしているわけではない。 如来もこの月と同じである。・・・人々は半月を見たり、満月を見たり、 或いは月食を見たりするが、月そのものは実は大きくなったり小さくなったり 欠けたり満ちたりしているのではなく、いつも満月である。如来もこの月そのものと同じである。 だから如来そのものは常住不変だと説いている。 カッサパ菩薩、例えば満月がどんな場所にも現れ、映し出されていることを考えてみよう。 満月はどんな町や村、山や谷、井戸や池などの水中、また、大きな瓶や釜などの中の水中にも現れる。 また、どんな遠くに行っても満月はついて来る。 この満月を見て人々は町や村でも家の窓からも満月を見るし、 今ここの谷間にいても満月を見ているが、みな同じ月なのだろうか、 それとも違う月なのだろうかと考え込む人がいる。 また、月の形に大小があり、それは釜の口のように見えるという人もいる。 また、車輪のようだという人もいる。また、直径が百九十六〔q〕の大きさだという人もいる。 また、満月の光明を見て、金製のお盆のように丸いものだと見る人もいる。 満月そのものは一つなのに、このように人々は各々種々の形があるように見ている。
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