- 日蓮って ver.30
490 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2015/02/10(火) 00:31:34.19 ID:xL4iA6V0 - >>479・>>481-482 eco さん
そう、もちろん監視の意味合いもあったでしょうけれど、幕府は法と慣習に従って日蓮を庇護しています。 中世において、(主に刑法犯の)流罪が「死罪同然」と言われたのは、為政者が法の庇護を外したからで、 日蓮のケースで言うなら、鎌倉から追い払った後は、山賊や追い剥ぎなどに殺されても放置、となります。 ですから、「佐渡流罪は死刑同然の処置だった」「良観らの陰謀で大聖人を亡き者にしようとした」のなら、 佐渡までの警護など付けませんし、本間氏らに関わらせることもなかったでしょうね。弟子・檀那らの訪問や 文献の執筆、書簡の往来なども禁止・・・と言いますか、それ以前に鎌倉でサクッと殺されていたと思います。 酒も油も凍った、というのは身延期のことですよ。兵衛志殿御返事でしたか。 >>465でも触れたように、日蓮本人の記述でも「酷寒」という点では、身延が佐渡を圧倒しています。 富士噴火の被害は記憶に無いです・・・江戸でも灰が積もったといいますから、相応にはあったかと。 ただ、噴火当時は天英院の庇護のもとで春を謳歌していた時期ですから、相対的には軽微だったでしょうね。
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491 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2015/02/10(火) 00:51:38.56 ID:xL4iA6V0 - >>486 さん・>>487 さん
佐渡島内でも地域によって違いがあるんですね。あれだけの大きさなのですから当然でしょうか。 「寒さの厳しさ」を気温だけで判断するのはどうかと思いますが、少なくとも本土とそう変わらず、当時でも 人々が住んで生活していたということは明らかなのですから、それが分かれば良いのではと思います。 >>488 さん ただ、上で誰かも書かれていましたが、当時は小氷河期で、現代よりもずっと寒かったことは確かです。 ですが、それは佐渡だけでなく、身延も富士も鎌倉もそうですし、日本全体がそうだったということですね。 >>489 さん むかし、日蓮以外で佐渡に流された人達のことをザッと調べたことがあるんですけどね。 細かな数なんかはもう忘れてしまいましたが、そのまま土着した人も含め、結構な生存・生還率でしたよ。 公家らが多く流された影響なのか、現在も佐渡の言葉は関西弁風味なのだそうですが、本当でしょうかね。
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289 :山椒島 ◆AUtVVr2znk []:2015/02/10(火) 01:27:47.25 ID:xL4iA6V0 - >>288 さん
私はまったく知らないですね。20年前の話だとしても、もう退会していますので。 時期によっては、実家にあった聖教をめくって見かけたかもしれませんが、覚えていません。 何年前でしたか、いつの間にか大白蓮華の表装がカラフルになっていて驚いたほどで。 揃って狂信的バリ活だった両親を、ほぼ完全に非活幽霊化した後の頃だったと思うのですが、 「センス悪っ!w」「大"白"じゃないねw」などとイジり倒して苦笑いさせたことを覚えています。 素行も成績も悪かったのに、親の七光りで全国幹部になった同窓生もよく覚えていますよ(笑
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496 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2015/02/10(火) 01:59:53.95 ID:xL4iA6V0 - >>495 さん
ちょうど>>488の後半を見落としていたことに気づいて、私も調べていたところでした。 諸説あるようですが、概ね「平安期から鎌倉中期にかけての小温暖期」から「江戸小氷期」に至る 過渡期・中間期にあたる「比較的寒冷な時期」(検索結果より借用)ということになろうかと思います。 というのも、身延期の文書に結構具体的な記述があったと記憶しています。たとえば積雪○丈だとか。 現在の山梨の積雪量よりもかなり多く、またそれだけでしたら単に日蓮が大袈裟に表現しただけという 可能性もあるにはありますが、不作→飢饉→新仏教流行という当時の流れも併せ考えた次第です。 室町から戦国期にかけての軍記物なんかでも、冬に関する記述はかなり寒そうで。 もちろん、ただの素人意見と付け焼き刃検証ですので、何か他に御存知でしたら御指摘下さい。
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497 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2015/02/10(火) 02:23:55.52 ID:xL4iA6V0 - >>496追記)中世の小温暖期について、
「鎌倉時代初期まで」で区切っている人や、「鎌倉期全体」まで含めている人も多いようです。 >>496で「概ね」と書いたのは拙速な判断だったようですので撤回します。すみません。
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506 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2015/02/10(火) 09:21:17.60 ID:xL4iA6V0 - >>500 さん
富士派では、大石寺4代の日道の筆と伝わる(本当かどうかは不明)文書「御伝土代」の頃から、 また同時期の身延でも、そのように記した文書が残っていたと思います。まだ頻度は少なめですが。 ただし、それは宗祖敬慕・宣揚の現れであって、日蓮本仏論などとはまったく関係ありません。 >>501 さん そうですね。ついでに、やっと思い出しましたので、酷寒プロパガンダの元ネタとなった日蓮の記述を。 佐渡の国につかはされしかば 彼の国へ趣く者は死は多く生は稀なり からくして行きつきたりしかば 殺害謀叛の者よりも猶重く思はれたり 鎌倉を出でしより日日に強敵かさなるが如し(法蓮抄・真蹟) この後に佐渡の環境の厳しさなんかも書いているのですが、身延期のそれとは比べるべくもありません。 佐渡期はむしろ、崩壊に瀕した門下を励ます文書が多いです。また、「佐渡に流されずに鎌倉に残って いたら、2月騒動に巻き込まれて殺されてたぜHAHAHA!」などとも書き送っていたり(もちろん真蹟)。 阿仏房と千日尼は私も好きですよ。両人宛ての日蓮の手紙も、微笑ましいものが多いです。
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