- 日蓮って ver.30
489 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2015/02/10(火) 00:28:10.24 ID:kSWWHmTe - >>488
着る物や寒さに耐えるための設備が今とは全く違うんだぞ。 同等に考える方がどうかしている。 たとえば、八甲田山雪中行軍遭難事件というのがある。 雪山に対する知識・装備が足りなかったため、大惨事を招いた。 しかし、今の自衛隊は、こんな事件を起こすことなく冬の八甲田山を走破している。
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683 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2015/02/10(火) 00:40:08.44 ID:kSWWHmTe - 大石寺の大御本尊が唯一無二という教義が成立したのは、大石寺に正しい信心(教学)が存在したからこそである。
正しい信心を伝えてきた団体が、由来はともかく大御本尊が唯一無二と伝えてきた。 ならば、その御本尊を唯一無二と制定しても、まったく問題はない。 しかし、その団体が頭からしっぽまで謗法に染まれば、話は別。 本門の題目や本門の戒壇が成立しなくなるため、三大秘法のうち二つが欠ける。 大聖人の仏法は、どこまで行っても三大秘法。 (一大秘法や六代秘法は、それをまとめたり開いたりして詳し解説したものにすぎない。) 三つのうちどの一つが欠けても、成立しない。(以下ry
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694 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2015/02/10(火) 17:40:59.71 ID:kSWWHmTe - >>691
(以下は私見であることを断っておく。) それ自体は、分身散体(散影)をわかりやすくたとえただけであり、分身散体とは微妙に違う。 もともと分身散体とは、「仏が衆生を救うために、種々の国土に分身を現わす」である。 大石寺では、それを大御本尊とその写しに当てはめた。 だが、もっと深く見れば、御本尊はそれ自体が「南無妙法蓮華経=日蓮」の分身なのである。 これを無視することになりかねない論は、修正するべきである。 また、大御本尊は、作られた時から御本尊単体としては問題ないから、その意味では写しも問題ない。 だが、現在の大御本尊は謗法の心で敬われているため、御本尊の地位を追われる。 一方、学会員が持っているその写しとされる御本尊は、正しい信心で敬っているので三大秘法がそろっている。
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- ニセ本尊の危険性
705 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2015/02/10(火) 18:04:31.44 ID:kSWWHmTe - >>702
あほ草。 その辺は、御本尊を「どう敬うか」で決まる事だろ。 「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」種種御振舞御書 本尊がたとえどんなに素晴らしいものでも、「謗法の心で敬えば」最悪を招く、と大聖人はおっしゃっているのだ。 今、謗法の心でいっぱいなのは、果たしてどの団体(あるいはそのトップや個人)か。 これにより、将来が決定する。 また、根拠になる御書をまったく引かずに(引く必要がない場合を除く)指導する者がいた場合、その指導内容は排除すべきである。 「等覚の菩薩が法門を説き給うとも経を手ににぎらざらんをば用ゆべからず」開目抄
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