- 創価学会の教義改正を語る(2) [転載禁止]©2ch.net
148 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/14(日) 00:17:49.25 ID:mETQc7Jj - それとこれですが、
>>135 >牧口の法華経研究から戸田までの教義の変質があったとみるべきでしょうね。学会はこれまで 宗門に謗法があると主張してきたのならば、どうして学会が教義を変更する必要があるのですか 創価学会側はこれにはご返答なされないのですか。 たしかま前スレからの、>>100>>102-104さんらの論旨からは、基本的に、 「世界布教のため」グローバル化対応のために勤行時間の短縮バージョンを考案 したとか、教義をいわば「ニューエイジ教的」に見せる工くふうが必要だとか、 あるいは、本質的に日蓮の教義はそういうものだったのだ、だから、 創価学会では当初から「宇宙」「生命」「リズム」とかの用語を恒常的に多用して それを「日蓮の教義である」として「表明していた」のだ、ということではなかった のではないでしょうか? この場合、正宗の側は元々当初からいっしょにいてこれらに何かコメントしていた でしょうか?それともこれらの用語は本当に日蓮教義の本質として共有できるとの 認識、理解だったということでしょうか? たとえば、>>108>>123さん、この辺も教義変更に絡んで、通奏低音(つうそうていおん) で存在していたのではないでしょうか?
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199 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/14(日) 21:03:43.80 ID:mETQc7Jj - >>79が出てから、非常に多くの反応が正宗側と創価アンチの側から出されたにも
関わらず、>>79へのフォローがほぼ皆無のような気がしますが、創価学会側の方は 基本的に>>79は引っ込める、あるいは間違いだった、という認識でしょうか? この辺明確にしてほしいと思って>>143>>145>>148としましたが、学会側は言いっぱなし が多いように感じます。つまり、自分の主張が相手との議論で継続、持続が困難と 認識されているのでしょうか。 この>>1の問題では、どうも双方ともに、罵り合いに終始して鬱憤を晴らすこと が目的化しているようにも見えます。つまり、どちらも問題をどんな形であれ 白黒つける、というところまで持っていく気はない、という感じもします。 まあ、2chなのでそれでもいいのかもしれませんが、せっかくなので徹底した 議論が行われてもいいかなと思っています。
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202 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/14(日) 21:24:45.59 ID:mETQc7Jj - >>199(つづき)
>>1によると、2002年の教義条項は 『この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の 大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命 たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする。』 ↓↓↓ 『この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である 南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命 〜〜〜〜〜 である世界広宣流布を実現することを大願とする』 と変更された、ということの本意の説明として>>79が出てきたのだと 思われますが、創価学会側の意図は、この下線部〜が「三大秘法」を「三大秘法 たらしめる」基(もとい)なのだと主張している、ということなのでしょうか? つまり、これを噛み砕いて説明すれば、>>143のようになる、ということで いいのですか。 創価学会の「今回の教義変更の主張の主旨」は、要するに>>143 であると端的に言い換えられるということなのですか? とりあえずこれを確認してください。つまり「本門の題目」という用語の意味です。 仮にこの通りであるとすると、創価学会としてはこの>>143の意味での「本門の題目」 でないと「仏性」も「仏界」も「湧現しない」ということを含意としているという ことですか? よろしくお願いします。
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207 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/14(日) 22:38:02.77 ID:mETQc7Jj - >>203-204
おっしゃるところはわかりますが、教団論はそれとして、とりあえずこの>>202 のような、ある意味、創価学会の主張の要めかもしれない学会側の立論が可能 なのかどうかをはっきりさせることができれば、結果によっては学会側も困る のではないでしょうか? ここで問題点をクリアにすると、 「本門の題目」であれば → 「仏性」や「仏界」が「湧現する」 が 「本門の題目」でなあれば → 「仏性」も「仏界」も「湧現しない」 ということでいいですか? そしてその場合、その「仏性」や「仏界」が「湧現する」ということで言っている ところのことというのは、>>103の「自分の命を輝かせる」とか>>108の「頭が すっきりして躍動する感覚」などとして説明されていましたが、正宗、創価学会 のどちらの側も、これでいいですか。 そこで、創価学会側では、この「本門の題目」が、>>1の「(御本尊に) 自行化他にわたる題目を唱え」ということを、「三大秘法」を「逆定義」している 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 のだと思われます。 つまりを普通に唱えても「仏性」や「仏界」は「湧現しない」が、>>143のような 意味で(かつそれを創価学会だけが独占的に実現しているという主旨を込めて) >>79というような説明をしたのだ、ということでいいのですか。>創価学会側 その上で、正宗側は創価学会のそういった主張について、果たして「何らかの ”本門の題目”」による「三大秘法」の「逆定義」は、本当に正しいのかどうか 明示的に示すことができれば、そうするべきではないか、ということです。
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210 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/14(日) 22:41:21.78 ID:mETQc7Jj - >>207 訂正>「本門の題目」でなあれば × ⇒「本門の題目」でなければ ○
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211 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/14(日) 23:45:14.50 ID:mETQc7Jj - >>207 訂正2
>自行化他にわたる題目を唱え」ということを、「三大秘法」を「逆定義」し × >自行化他にわたる題目を唱え」ということで「三大秘法」を「逆定義」し ○ (つづき)もし仮に「仏性」や「仏界」が「湧現する」ということで言っている ところのものが、 (学会側の人)>>103の「自分の命を輝かせる」 (正宗側の人)>>108の「頭がすっきりして躍動する感覚」 などと表現されるものとして、正宗側、学会側共に共通の感覚や観念、概念として 共有できるのだとした場合、 正宗側、学会側共に「仏性」や「仏界」や、そして「それらが湧現する」と表現 しているところのものについて、 同じ感覚や観念、概念を持っていて、どちらの側でも共通に、 「本門の題目」であるところのものを唱えている、ことになる とは考えられないでしょうか? そうすると、>>79や>>143のような立論による「お題目(を唱える行)」だけが 「本門の題目」である、とは言えないことになるのではないか?? これがここでの問題提起ですが、いかがですか?>>創価学会側 創価学会側は、まずこれを解決できないといけないのではないでしょうか。
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