- 学会の本尊はカラーコピーだった 25
332 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/11/09(日) 09:29:46.91 ID:ZArLsPue - >>331
そうそう。最初からそう気づいて、この信心は、この御本尊はなどとしつこく言わずにやってればよかったのだよ。 それぞれ何を拝もうが自由、信教の自由、相互不干渉の原則で、おとなしくやっていればいいのだよ。
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- 日蓮って ver.30
245 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/11/09(日) 21:09:04.04 ID:ZArLsPue - >>243
あったにせよも何も初めから受戒などしていないのだよ。犬作先生の博士論文が存在しないのと同じさ。 >>244 最澄が法華第一なら、241さんが指摘したように、なぜ密教を年部度者の枠に設ける必要があったのか? なぜ年若の空海に弟子の礼をとって密教の受法をしようとしたのか? それが叶わぬと見るや弟子を空海の下に派遣したり、門弟を入唐させてまで密教にこだわったのか? これらのことから最澄は密教を極めていないとの自覚があった。その限りで法華第一であったにすぎない。 つまり最澄の法華第一というのは限定つきの「法華第一」なのであり、それは決して第一とは言えないのである。
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- 日蓮って ver.30
246 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/11/09(日) 21:32:50.69 ID:ZArLsPue - もし最澄が心底から法華第一と信じていたなら、密教を天台に取り入れる必要は全くなかったはずである。
南都六宗との論争に明け暮れた最澄である。ただ天皇らに受けるというだけで節を曲げるとは思えない。 最澄が法華一乗の戒壇を造ろうとしたのは事実であるけれども、最澄は密教の優秀性を知っていたのだ。 これは日蓮などと違って最澄があくまでご都合主義ではなく、自らの思想的探究に忠実であったことの証明である。 最澄は国家の認めたエリート中のエリートだった。しかしメンツなどは感知せず、どこまでも求法心が勝っていた。 最澄は家柄も良いが、実に精神的にも高貴な人柄であったと思われる。
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