トップページ > 創価・公明 > 2014年11月01日 > 6tXX3GSX

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名無しさん@お腹いっぱい。
日蓮って ver.30

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日蓮って ver.30
219 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/11/01(土) 09:23:38.94 ID:6tXX3GSX
柿経(こけらきょう)に関する雑な私見

柿経についての記事はネット上にも多い。検索すれば各地の出土例の報告やそれに関する論文などが容易に得られる。
それらを概括すれば、柿経とは以下のように説明されている。
1.主に木片に書写された経文、あるいは経文の書写された木片。
2.寺院のほか、沼沢や河川など水辺の遺構からの出土例が多い。
3.主に追善供養、罪障消滅、後生安楽、逆修業などを目的に行われた。
まず3の追善供養などであるが、これらの目的で行われるのは柿経に限ったことではなく、通常の写経・納経、板塔婆供養
なども基本的に同じである。また2のうち寺院に奉納される場合、通常の紙による写経・納経のほうが一般的であるはずで、
換言すれば、追善供養で奉納された紙の写経と柿経を区別するのは、それが紙でない木片であるということだけである。
したがって柿経は本来、ある程度の耐久性を持って水辺に流す目的で作成されたものであると推論することができる。

ところで柿経は平安末期から江戸期に行われたものと考証されている。また各地の出土例を見ると、書かれている経文は
法華経、浄土教、般若経、理趣経や真言など密教系など様々であるが、法華経がやはり圧倒的に多いようである。
このことは柿経の作成や供養において各地での各宗の寺院僧侶が関わっていたということを推察させるが、同時に一方で、
これが特定の宗派によって意識的に広められたものではないことをうかがわせる。そこで私はこれは、在家側の習俗として
広く普及したものと推測する。つまり寺院と密接な檀信徒の申し出によって寺院が協力したというふうに考える。
日蓮って ver.30
220 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/11/01(土) 09:25:24.29 ID:6tXX3GSX
219の続き
柿経が普及し始めたのは平安末期だが、板塔婆の普及もまた同時期である。これも本来、檀信徒が供養するものである。
写経はそれよりかなり早く、これは、僧侶が勉学や修行として、また実務上の必要から生じたものであり、柿経や板塔婆と自ずから異なる。
写経・納経の功徳が一般に言われ始めたのは後代であろう。つまり柿経は写経からではなく、板塔婆から派生し普及したと考えられる。
実際、柿経は古くは「率塔婆経」と称されていたという。つまり柿経は寸断され、水辺に流される板塔婆なのである。
だとすれば、なぜこのような区別が生じたのであろうか。なぜ一方は墓所に公然と立てられ、他方は水辺に流されたのであろうか。

思うに、柿経とは元々はその家族の一員として公に認知されることなく亡くなった生命の成仏を祈願するものだったのではなかったろうか。
私の念頭にあるのは、いわゆる「子間引き」として近世に至るまで広く行われた嬰児殺しの風習である。この風習は日本だけでなく
世界中に見られ、日本でも古事記によれば、イザナギとイザナミの間に初めに産まれた水蛭子(ヒルコ)は葦船に入れられ流された。
その次に生まれた淡島(アワシマ)も「子の例(かず)に入らず」とされた。むろんこれらは象徴的な寓話であるに違いないが、不具の子を
子と認めずに遺棄することが慣習として当然視されていたことがわかる。実際、この「子間引き」は江戸期まで犯罪とは見なされず、
いわば親の権利であり務めであると観念されていたようである。この風習に中国経由で伝わった仏教がひとつの新たな説明を与えた。
板塔婆や柿経が広まりだした平安末期は同時に六道思想や「三途の川」などの概念が広まりだした時期でもある。これらの影響で
様々な不幸は過去の罪業の報いであると思われるようになった。古い迷信が、大陸由来の、より権威ある新たな迷信に代わられた。
日蓮って ver.30
221 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/11/01(土) 09:27:37.86 ID:6tXX3GSX
220の続き
特に法華経では、これらの病気や障害が、過去に法華経を誹謗した報いと断定され、成仏するには法華経を信受する他にないとされる。
勧発品などの記述に著しい。いかに習慣であったとはいえ、嬰児殺しにともなう肉親の精神的苦悩は軽いものではなかったはずである。
この苦悩を法華経は緩和する。それは過去生における法華経誹謗の結果であり、法華経に帰依すれば、来生で成仏するであろう、と。
柿経に法華経が多いのはこのためであると思われる。川や沼沢は、この世とあの世を分かつ三途の川の象徴でもある。木片に書かれた
法華経は死者があの世へと旅立つ死者の魂とともにあれよと願い、その成仏を祈願するものであったのではないだろうか。

柿経が貴族の間での「子間引き」に伴って発祥したとしても、やがて他の事例を吸収しながら全国に広まっていったものと思われる。
たとえば水害による行方不明、心中、冤罪による処刑など、なにか平穏でない事情による死者を弔うものとして広まっていった。
この柿経という、手間も費用もかかる特色ある供養法は、単なる板塔婆よりも、供養する者の「強い思い」が伝わるようだからである。
忍性の請雨池や建長寺から出土した柿経は、心ならずも多くの殺害を犯した武士が死者の成仏を祈願したものかもしれない。
柿経についての記事は多いが、これらを保存する各地の公共施設も、柿経は追善供養・後生安楽のためと判で押したように言う。
これも、その成立事情は実は常識で、ただ古人が封印し、文字通り「水に流そうとした」郷土の哀しい歴史を詮索しないためとも思える。

以上
日蓮って ver.30
223 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/11/01(土) 10:19:43.20 ID:6tXX3GSX
>>216>>217
日蓮からして受戒も相承もしていなから日蓮系は押し並べてそのあたりのけじめの感覚に乏しいようですね。
>>218
鉄鋼王で慈善家なのはアンドリュー・カーネギーで、208のいうデール・カーネギーは自己啓発セミナー屋さん。
日本で言えば、きこ書房やサンマーク出版から出そうな本だね。
日蓮って ver.30
227 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/11/01(土) 21:48:23.60 ID:6tXX3GSX
>>224
宗教活動そのものが慈善事業とは言えないでしょう。
忍性のように宗教活動の一環として病人救済弱者救済に心血を注ぎ、世人にその高徳を慕われた高僧もいれば、
さらにその日蓮をネタにデタラメなカルト活動で暴利をむさぼる営利団体もある。

そんなあなたに質問ですが、以下のどれが慈善事業たる宗教活動だとお思いですか?
1.財務
2.マイ聖教
3.公明党の投票依頼
4.言論出版妨害
5.共産党幹部宅盗聴
6.墓苑事業の反対派住民を暴力団を雇って脅迫
日蓮って ver.30
228 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/11/01(土) 21:57:55.79 ID:6tXX3GSX
224の訂正
一部脱漏がありました。前半三行は以下の四行に訂正します。

宗教活動そのものが慈善事業とは言えないでしょう。
忍性のように宗教活動の一環として病人救済弱者救済に心血を注ぎ、世人にその高徳を慕われた高僧もいれば、
日蓮のように慈善活動は一切せずに、忍性を妄想で誹謗中傷して刑法犯として流刑に処せられた狂僧もい
さらにその日蓮をネタにデタラメなカルト活動で暴利をむさぼる営利団体もある。


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