- 日蓮って ver.30
189 :スチールカン[sage]:2014/10/26(日) 23:33:36.84 ID:Q5lq7BB5 - >>98山椒島さん
遅レスになりました。 考えてみれば、灰になった「二十八字」っていう箇所は後の推測でしかなくて、ここだと断定できるものではないのですね。 私見によって申し訳ございませんが、ここ薬王品から探るにあたって、 『善男子。我涅槃時到。滅尽時至。汝可安施牀座。我於今夜。当般涅槃』 と、ここなら燃やしても差し支えないのではと思いきや、、、これでは二十六文字なので断念! ならば、 『立此誓言。我捨両臂。必当得仏。金色之身。若実不虚。令我両臂。還復如故。』 ここならば日蓮寄りに考えて、角が立たなくて良しと思われます。 日興がこの一文の二十八字を拝したとしても、時光を助けんがためならば納得はされる事だと思われますが、 この薬王品のくだりは、寿量品前文と良医の喩え副っても読めるようです。 また、この私の粗末な推測はあくまでも、「このきやうもんを灰に焼きて」を推定した場合であって、 もし「このきやうもんを牌に灼きて」と解釈すれば、あの日蓮像にも辻褄を合わせられると考えてもみました。(? それと、一連に議論されてます、池ポチャの柿経ではありますが、 法華開経の説法品 『善男子、法は譬えば水の能く垢穢を洗うに、若しは井、若しは池、若しは江、 若しは河、渓・渠・大海、皆悉く能く諸有の垢穢を洗うが如く、其の法水も亦復是の如 し、能く衆生の諸の煩悩の垢を洗う。』 とありますに、ここではリアルな池ではなく、法華経という水によって洗い流すべきものがあるという趣旨でもあります。 さて、いくら雨が降らないとはいっても、忍性の祈祷方法は法華経物語のどこに根拠があったのかも疑問でありますね。 もし幕府からの命令とならば、日蓮曰くにも「ずいほうびに」とかっていうのに落ち着くのでしょうけどねw
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