- 日蓮って ver.30
157 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/10/24(金) 08:39:35.89 ID:VWD4e4Ae - >>147>>149>>150
149さん、山椒島さん、私の146は、断ってあるように「忍性が祈雨の祈祷に木片を池に投げ入れた」を所与の事実として私見を述べたものでした。 しかし改めてみなさんのレス内容を参考に関連事項を調べてみました結果、以下のように私見を改めます。 1.出土した木片は柿経であり、これに関する山椒島さんの149の2段目の記述はほぼ正しい。ただ忍性の祈祷とは無関係と思われる。 2.忍性の祈祷は真言の請雨経法によるものと考えられるが、これも他の祈祷と同じく用いた護符その他は破棄されるようである。竜王の勧請の ためなら八大竜王の梵名か漢訳名を記した紙片を池に浮かべ真言を唱えるといった仕方が自然である。 3.出土した柿経は湿気の多い沼沢で700年持ったくらい耐久性のある木材(竹?)で、しかも竜王の名前だけでなく法華経の経文であり、 その数もかなり多く、おそらく元は法華経の全部もしくは相当な部分を写したものと想像され、祈祷には不自然である。 4.柿経は山椒島さんが149で言うように宗派を問わず、全国的に出土例が多く、法華経が多いというのも事実であるが、これらは追善供養や 罪障消滅を祈願する目的で、僧侶というより信徒が行ったようである。忍性の師である叡尊の立てた奈良の西大寺からも多く出土している。 5.元々法華経は日本にもっとも古くから伝わった経典のひとつであり、多くの宗派で重視された。空海が法華経を誹謗したというのは日蓮のデマである。 空海は貴人の死に際して法華経の写本を送っている。これも上記の追善供養という意味合いと符合する。 6.おそらく旧仏法寺跡の請雨池跡から出土した柿経も、信徒によるものだったろう。それが後に有名な忍性の祈雨の祈祷と結びつけられた。 当時から戦乱や地震や津波など自然災害は多くあり、鎌倉も例外ではなかった。追善供養や罪障消滅の祈願は切実なものだったはずである。 だいたい以上です。
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158 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/10/24(金) 08:44:47.79 ID:VWD4e4Ae - 157の補足
なお山椒島さんの136の「焼くのも投げるのも埋めるのも流すのも、『経典を粗末に扱っている』感が満載、違和感バリバリです。」ですが、 密教の請雨経法では上の2に書いたように、用いた護符その他はすべて祈祷が終わった後に破棄することになっていますが、これは孔雀明王や八大竜王に 祈願すると同時に「供養する」という意味合いがあるので、使いまわしや保存はされないです。再び祈祷するときは、また新しいものを用意します。 また法華経の経文の柿経を池などに沈めるのを特に奨励している宗派は見当たらないようですから、例えば池で入水した人や水難で亡くなった人を弔ったり、 あるいは、心ならずも殺人などの罪を犯した人々が罪障消滅を願った民間の習俗として広まったと思えば、むしろ自然な感じで納得できると思います。 なくなった方が法華経の経文に接して成仏するというのは、法華経の内容からしても、素朴で自然な回向の発想と思えます。
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160 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/10/24(金) 21:51:01.93 ID:VWD4e4Ae - >>159
恐れ入ります。実は157-158を書く前に既に見たのですが、仏法寺出土の柿経が忍性の祈祷のものとされている箇所が私にはどうにも見当たりません。 全文をコピペすると長くなりますから、「○○〜中略〜○○」みたいな形で山椒島さんがそう読解される該当箇所をご教示願えませんでしょうか? また150のPDFについても同様、157-158を書く前に既に読みました。「柿経の発祥はあくまでも寺院であり云々」という意味が私には曖昧に聞こえます。 出土された場所が寺院だということでしょうか。それは柿経は信徒が供養したものという考えと何ら齟齬はないと思います。
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