- 2世3世が学会のおかしさに気がついたこと 2
978 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/22(水) 01:14:03.30 ID:udVM8FNU - >>915
法華経は偈頌(韻文)と長行(散文)から構成されております。 >>916 >おっしゃる事が創価学会的な抽象論で、よくわかりません。 抽象論として考えているうちは、なかなかわからないと思います。 仏法とは、瞬間瞬間、今感じている自分自身の心の状態、生命の実態のことです。 人生の様々な試練を一念の力で開き、過去世の宿業を宿命転換してゆくのが信心です。 >法華経が他の大乗仏教典と全く異なるのは、寿量品で釈尊を永遠 >不滅の仏としたことでしょう。他の大乗経典には出てきませんから。 >それと、悪人成仏・女人成仏・二乗作仏と、あらゆる衆生に仏性が >あると述べたことです。それを強調しているのが、不軽菩薩ですね。 仰るとおり、寿量品では久遠の本地が明かされ、如来の寿命が無量であることが示されました。 日蓮大聖人は「如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり」と仰せになっています。 また三乗方便・一乗真実、仏の一大事因縁が明かされ、万人に仏性があることが示されました。 >>917 「此の経文は一切経に勝れたり、地走る者の王たり師子王のごとし空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」 法華経は諸経の王であります。
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979 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/22(水) 01:20:08.02 ID:udVM8FNU - >>921
>すべての経典がそうだと言うことではありませんね。 >少なくともスッタニパータやダンパルマの一部は最古層に >あり、釈尊の直接の言葉ではなかったかという説が有力ですよ。 厳密にはそのままの言葉ではないしても、釈尊が説いた教えに相当近いであろう というのはそのとおりだと思います。 しかしだからといって、古い教え=高い教え(内証の悟り)であるとはいえず 仏教が対機説法であることを考えても、多くは弟子たちの理解にあわせて説かれた(随他意) と考えるほうが自然だと思います。 このことは法華経自身によっても、衆生の機根を整えるために方便権教が説かれ 40余年が未顕真実であったことが明かされています。 そもそも第一結集にいろいろと問題があったわけですが、 私は、僧院主義の部派仏教やその後の上座部の姿をみて、あのようなあり方が 仏の真意であるとは到底思えないですね。あまりにも過度な禁欲主義に陥っており、 かえって人間本来の自然な本性を失っていると思います。 また事実、釈尊は生涯伝道の旅をしていましたし、 そのふるまいは利他的、大乗的であったのではないでしょうか。 したがって私は、単に古いからという理由で、それが直ちに仏の真実(最高の悟り)であり、 後から登場したものはすべて非仏説、真実の仏法ではない、というのは正しくないと思います。 また宗教に限らずとも、何か道を究めるという場合、深義というのは往々にして 秘し隠されているものではないでしょうか。
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980 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/22(水) 01:35:30.04 ID:udVM8FNU - >>921
>で貴方は、釈尊が法華経を説いたとお考えですか? あくまでも個人的な意見ですが、「法華経」と説いたのは間違いないと思っています。 ただし、「二十八品の法華経」の一字一句が歴史上の釈尊のものであるかはさだかではなく、 後代の弟子たちによって表された可能性は高いと思います。 これは、「法華経」というものをどのようにとらえるか、を踏まえることが大事だと思います。 例えば、法華経序品には日月灯明如来の法華経があり、化城喩品には大通智勝仏の法華経、 常不軽菩薩品には、威音王仏の二十千万億の偈からなる法華経、不軽菩薩の二十四文字の法華経 があり、過去仏らによって様々な形での法華経が説かれています。 また戸田先生は、三時の法華経があるとして、 正法時代の二十八品の法華経、像法時代の摩訶止観、そして末法には南無妙法蓮華経の法華経 と、時代時代によって各種の法華経があるとされます。 このように考えると「法華経」といっても時代によって様々な姿、形があるといえ、 インドから中国、日本へと時代を超えて伝えられてきた法華経は、 ダイナミックにその姿を移り変えてきた歴史でもあるといえると思います。 したがって学者が研究対象とする「法華経」と信仰を持つ我々にとっての「法華経」とでは、 その言葉の意味やとらえ方が必ずしも同じではないことを踏まえなければならないと思います。
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982 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/22(水) 01:44:43.91 ID:udVM8FNU - >>921
>教会に行けばいくらでもそういう景色が見られますよ。 たしかに集まってる光景自体は今では珍しくなくなったと思いますが、 座談会のような車座になってそれぞれの人生、信仰体験を和やかに語る空気感といいますか、 あと歴史的な意味合いのことも含まれているかと思います。 教会はどちらかと言えば厳粛で、座談会のように多様な人種の人々が赤裸々に 胸の内を打ち明けるというのとはまた違った空気ではないかと思います。 実際、公民権運動以前には民族により教会が異なっていたそうで、今も黒人教会があります。 とくに保守的なアメリカ南部、また系統としてはバプティスト系やモルモン系にみられる傾向のようです。 今は昔ほどではなくなってきてると思いますが、例えば2012年にはミシシッピ州で 黒人であることを理由に教会で結婚式が拒絶されるなど、いまだ差別意識は根強いものがあります。 ついこの前もミズーリ州で暴動が起きていました。
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983 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/22(水) 02:13:35.38 ID:udVM8FNU - >>922
>日蓮上人没後、いったい何年たっているんですか? 733年です。 >創価学会誕生後、何年たっているんですか? もうすぐ84周年ですね。 安土桃山時代には、京都を中心に一時栄えたようですが、天文法華の乱や信長の命で行われた 安土宗論などを契機に衰勢していったようです。 江戸時代には、宗門改めや檀家制度によって事実上、布教は長らく禁止された状態でした。 また明治維新後は、神仏習合が禁じられ廃仏毀釈、国家神道へとつながっていき、 戦時中にあっては治安維持法、不敬罪を理由に初代二代会長が投獄されました。 このような経緯で、民衆による本格的な仏法流布は、 やはり戦後を待たなければならなかったのだと思います。 「法自ら弘まらず、人・法を弘むる故に人法ともに尊し」 法がいくら偉大であっても勝手に広まるわけではなく、人によって広まります。 >そしていつ日本で広宣流布ができるのでしょう? 広宣流布は永遠の闘争だと思います。 >>947 具体的に何を指しておられるのかわかりませんが、嘘は教えてないと思います。 >>981 「比丘たちよ、意思(cetana)が業(kamma)である、と私は説く」(増支部経典) 部派仏教には大衆部なども含まれますが、 普通は大乗仏教とは違うカテゴリーで語られますね。
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