- 2世3世が学会のおかしさに気がついたこと 2
880 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/19(日) 01:02:34.09 ID:CawFjyoG - 遅レスですが。
>>44 >子々孫々の繁栄に創価が好ましい影響を与える事を示す数字(現証)は? 数字というのはありませんが、学会員は元気で溌溂とした方が多いですね。 日蓮仏法では一念の変革によって自らが成長し、やがては人生や社会を変革 していくことができると説きます。これは色心不二や依正不二の原理と呼ばれます。 アメリカの仏教学者クラーク・ストランド氏は、創価学会が飛躍的に発展し、 世界宗教化してきた理由として、 1、戸田先生の「仏とは生命なり」との覚知 2、池田会長が「人間革命」の思想と行動へと普遍化したこと を挙げ、次のように言っています。 「歴史的な例を見ても、新しい宗教革命が起こる時は、その宗教が伝わる勢いは 大変なものがあります。理屈抜きで人の心から心に伝わっていく。 これが宗教革命の特徴です。創価学会を研究してきて私はおそらく 500年、1000年に一度誕生するかしないかの偉大な宗教ではないかと思います」 創価学会は、たった80年で仏法を世界192ケ国、様々な地域や文化圏に広めました。 またその卓越した思想と行動が各国の指導者、著名人らによって評価されています。 このような宗教は他に例がありません。 これは個々のメンバーが現実の困難と対峙し、心の変革をしながら実証を示して いなければ不可能なことです。
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882 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/19(日) 01:30:03.23 ID:CawFjyoG - >>92
>おっしゃるとおり意訳としては間違っていません。でも本来ならば「広く流布すべし」 >ともいうべき形容詞+動詞なんですよ。ところが「広宣流布」という「目標」の単語 >になっています。これは漢文だけ見ていればわからないのですが。 たしかに漢訳経典は原文と比べて、表現がきわめて簡潔になっているなど特徴的です。 これは漢字が単体の文字として意味を持つ表意文字だからであり、 もう一つは中国において簡潔さが好まれたからだそうです。 鳩摩羅什を中国に招聘した道安は、漢訳にあたり「五失本三不易」というルールを示しています。 五失本というのは、原本を変えてもいいという5つの限界で、配列の変更や反復の省略など。 三不易は、原本を固守しなければならないという3つの限界、を意味するそうです。 大事なのは、元の原義を損なわないようにしながらも、異なる地域・文化圏の人々に 受け入れられるため、語感やニュアンスへの配慮も必要となるということだと思います。 また、それとともに私が思うのは、翻訳作業において、このように仏典の精神を伝えつつも、 なおかつ発展的であり、より克明な表現となり、意義付けがされていることも事実であり、 私はそれはむしろ、仏教が人の手によって伝えられてきたがゆえの魅力的な特徴だと思います。 例えば有名なのは、羅什訳の「十如是」ですね。 また不軽菩薩の「礼拝行」や諸法実相の「実相」に相当する語も、厳密には梵文にはないために 仏教界でも論争されています。 しかしいずれも原義を損なっているわけではなく、あるいは明瞭となり、意義づけられてきたと 解釈されるべきであると思います。
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883 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/19(日) 01:34:28.78 ID:CawFjyoG - >>92
しかし最も感銘するのは、なんといっても羅什の「妙法蓮華経」というタイトル名の翻訳です。 元々は「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」(正しい白蓮の教え)ですが、 竺法護は「正法華経」と訳していますね。 たしかに忠実さからいえば、その方が忠実かもしれません。 しかし語感の響き、意味合いからしても、圧倒的に私は「妙法蓮華経」の方が優れていると思います。 もし羅什がいなければ、我々は「南無正法華経」と唱えることになっていたかもしれません。 広宣流布という言葉も、広く宣じて流布する、つまり「誓い」の義が強調されているのは確かだと思います。 しかしこれは、「魔の働きによって正法が消滅してしまわないように」という原文の文意を酌みつつ、 決意や誓いといった目的観が表明され、意義がより克明になったといえるのではないでしょうか。 決して原義が損なわれているわけではないと思います。 また上座部仏教(小乗)との対比においても、大乗仏教の本質ともいえる特徴がこの「誓い」であるといえ、 とりわけ法華経は「誓願の宗教」であると言われます。 煩瑣な無数の戒律によって欲を断つ行き方ではなく、「誓い」という一点において生命変革を目指す ところに、仏法が真に民衆のものとなるための、甚深なる仏の智慧があるのだと私は思います。
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885 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/19(日) 02:13:36.89 ID:CawFjyoG - >>860-865
原始仏典も釈尊が入滅して少なくとも300〜400年は経っていますね。 入滅の時期は諸説ありますが、釈尊自身は何一つ書き残していませんし、 全ての仏典は、後代の弟子たちが口承口伝によって伝え、整理し、文字化されてきたものです。 原始経典がスリランカでパーリ経典として成立したのが大体、紀元前1世紀頃だそうです。 つまりそれまでは、すべて口伝のみによって伝えられてきているわけですから、 数百年のスパンがあるという意味では、大乗仏教経典と同じような事情にあると思います。 実際に中村元氏などの仏教学者らも、厳密な意味においては仏典のどこを探しても、 歴史上のゴータマ・ブッダの金口であると明確に断定できる言葉は何一つない、と言っています。 では、仏教は実際には誰がつくったのかもわからない価値の無い教えなのでしょうか。 そうではなく、大事なのは、釈尊の真精神、仏意が何であり、 また仏教が我々民衆にとって、また世界にとってどのような意味があるのか、ということだと思います。
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886 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/19(日) 02:34:02.91 ID:CawFjyoG - >>884
海外での座談会を見てると、創価学会の思想がいかに多様性に満ちているか、 普遍的であるかをかえって痛感しますね。 例えば、多民族国家であるアメリカでは白人や黒人、ヒスパニック系、ラテン系など たくさんの人種が座談会に集うわけですが、これは本当に珍しいことなのだそうです。 創価学会も組織である以上、色々な見方をする人がいるのはわかりますが、 本質が何であるかは、御本尊の力が真実であるかどうか、ということに尽きると思います。 信仰を持っておられない方にはなかなかわかりづらいかもしれませんが。冥の照覧といいます。 力のない宗教であれば、これほどの発展は不可能だと思いますね。 日本においても、世界においてもです。 もし仏法に背いた人がいれば、自ら離れることになるでしょうし、厳しい現証がでると思います。 究極において、法を信じるかどうかによって、ものの見方がまるで変わってきてしまいますね。
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