- 日蓮って ver.29
689 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/09/27(土) 00:27:03.05 ID:Y+BY72UR - >>688 スチールカン さん
そのまさかで、駕籠のカゴではなく、(おそらく書類や経巻などを入れるための)ケースとしてのカゴです。 別スレでも書いたことがありますが、例の「祈雨の三法具」や「日興所持の数珠」などと同様の代物です。 提婆品についてですが、前半の記述は「本師となる仏・法があって、歴劫の修行を経て仏果に至る」という 法華経迹門までの概念のままに描かれます。上の方での、大通智勝仏や威音王仏らの話もそうでしたね。 一方で本門寿量品では「我実成仏已来無量無辺」とし、発菩提心も行菩薩道も、時間的な前後は無く 最初からとか何時からといった概念をも超越した「元から仏」的な、まさに本仏としての記述がなされています。 この辺のことを、日蓮は重書では開目抄であれこれと述べていますが、端的には本尊抄の「無始古仏」との 記述によく表れていると思います。過去世の聞法や菩薩行が先にあるなら、「無始」ではなくなりますものね。 聞法という因縁はあるものの、菩薩行なくもそれを具し、仏果を示した竜女の記述は、上の寿量品の記述に 至る伏線・架け橋的な意味合いが読み取れる、と言いますか、そうでないとまたもや辻褄が合わなくなります(笑 もっとも、これについても古来より諸説紛々・議論諤々です。正解があるのかどうかも私には到底分かりません。
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688 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/09/27(土) 01:00:51.41 ID:Y+BY72UR - >>687 スチールカン さん
(笑) でも、その通りだろうと思いますよ。 ちょうど別スレで、(最近は黙っているようですが)かつで盛んに喧伝していた「お宝」類のことを 少し書きました。お察しの通り、どれもこれも何の根拠も無い、得体の知れないものです。 様々な伝承神話もそう、生肉付きで汗かく何とかもそう、戒壇の何とかサマも、すべてそうです。 他の誰よりも、当事者達が「こんなもん」だと分かっているんですよね。 他にもたとえば、ほんの数十年前と比べても、主義主張も違う、勤行の作法も観念文も違う、 登山参詣の作法も違う、ついでに順路までも違う。何もかもがコロコロと変わっているわけです。 それでも、「宗祖已来変わらぬ」とか「大聖人直結」だなんて、平気で言っちゃうんですから。 仏だ法だと言ってもも、所詮は「商材」であり「飯の種」でしかないのだろうなぁと思います。
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694 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/09/27(土) 09:22:45.46 ID:Y+BY72UR - >>690 さん
そもそも無理、まさに仰る通りだろうと私も思います。>>581上段の通りです。 その無理は承知で、経典上の表記は極力そのままに色々と考えてみよう、という試みのひとつです。 ただ、梵本と漢訳本とでは、御存知のように内容にかなりの乖離がありますから、ある意味それ以上に 無理があるのではと思います。また当初お尋ねの一般的解釈も、多くは羅什本に拠ったものでしょうしね。 おそらく法華経信仰圏では、実際に竜女が変身し、別世界に赴いて以降を舎利弗らが神通力で観る、 といった見解が多いのではと思います。ただし、その時点で既に菩提に至っているとの理解は変わりません。 でないと、既述の通り、文殊の答えや(仏の証知まで介在させた)竜女の讃偈と矛盾してしまうからです。 このような解釈の詳細な理屈は分かりかねますが、おそらくその根底には、「未だ仏に成り得ない修行中の 菩薩」(宝珠献上を以って成仏とする解釈はこちらに拠るのでしょうね)とは別に、「既に仏に成った、あるいは その資格を有しているが、あえて菩薩位に留まっている菩薩」といった理解もあるのだろうと考えています。 (地涌千界の金色三十二相を有しての出現を根拠とします。こちらは一般的解釈と言って良いと思います)
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697 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/09/27(土) 09:48:41.03 ID:Y+BY72UR - >>692-693 さん
信長について、その辺は私も一通り、人並みにですが承知していますよ。 その上で、「公称法華宗」は同時代の資料にもありますから、そのままに書いたまでです。 篤信や外護などといった内実が伴っていませんから、日蓮系教団でもほとんど言及されません。 「勝手に作ったホラ話」という意味では、むしろ敬台院や天英院らの方が色々と酷いですね(笑 >>693については、私もそう思います。 特に、もともと「久遠」という語自体に、日蓮本仏論者のいう「久遠元初」の意味があるにも関わらず 殊更に五百塵点を強調して、「もっと前」があるかのような理屈を構成しています。「無上道」も無視。 「無上」の上に更に「上」を乗せて、そこに格差を付ける為に、やれ脱益が無いだの末法は無益だのと、 日蓮があれほど懸命に揚げ続けた法華経を、もはや妙法でも蓮華でもなくしてしまっているわけです。 根本から無理筋ですから、少し突き詰めた話になると「当家は信の法門だ」だなんて開き直るんですね。
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698 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/09/27(土) 10:42:09.59 ID:Y+BY72UR - >>695-696 さん
や、まず私の経歴上、ベースには日蓮系でも異端といえる系統の、歪な法華経理解の残滓があります。 後に教団を離れる前後から、日蓮系他門や他宗教の方達との会話や雑談などを通して、叩きこまれた 理屈を修正するのですが、その結果のような過程のようなものですから、素人意見には違いありません(汗 神通力のくだりも、竜女が有しているのなら、わざわざ相手に振らずにその場で発現すれば良いのでは?と 浅はかに考えたからで、身体検査云々というのは、恥ずかしながら記憶からも完全に欠落しており、「だから >>694の3段の様に理解する人が多いのか、ナルホド」と、今さらながらに勝手に納得している始末です。 竜女の菩薩行については、その後の智積の再問の「於須臾頃 便成正覚」の「須臾」に引っかかりました。 舎利弗の言う「不久」ならまだしも「須臾」ですから、法を聞いてほぼ同時に即ヅモで成仏したことになる、と。 つまり、智積らも分からないという意味での具体的な菩薩行は「無い」。だけれども「具菩薩行 即往南方」。 この辺の記述(矛盾)に、「釈迦の過去世と久遠実成」と同じ構成が見出されるなぁ、と感じた次第です。 このように、100%私見ではありませんが一般的とも言えません。叩き台・踏み台程度に読み流して下さい。
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700 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/09/27(土) 12:38:40.25 ID:Y+BY72UR - >>697の「脱益が無い」は誤記ですね。
「種益が無い」 or 「熟脱益しか無い」です。すみません。 >>699 さん なるほど、ありがとうございます。まぁ、見ての通りの程度です。 そもそも法華経信仰もしておらず、某教団離脱後は改めて読むことすらない私のような者が 梵本まで読もうかという人に講釈もどきを垂れる時点で、既に色々と間違っているような(苦笑 信者さん達がガッツリ説明してくれると良いのですが、得てして特定教団の独自解釈仕様です。 もともとが「法華経はオワコン」という教義ですから、今もちゃんと読んでいる人は少ないと思います。 私も「そんな暇があったら御書を読め!活動しろ!」などと言われつつ、コソコソと読んでいたクチで。 もっとも、その「御書」すら、今はほとんど読まれないようで、頓珍漢な主張にしばしば驚かされます。 解釈法門の成れの果てとでも言うのでしょうか。これも分派と内ゲバが盛んな理由なのでしょうね。
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