- 学会の本尊はカラーコピーだった 24
719 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/16(火) 19:24:46.81 ID:NC6SwGPS - >>706
>まあ、他宗の歴史など学会さんにはどうでもいいじゃないですか? 私は学会さんじゃありませんよ。 それに、創価に他宗の歴史や教義など関係無いというなら、日蓮宗がここにいるのはおかしいでしょう。 >それだといつか分裂するはずで、創価と日蓮正宗がそうですね。 日蓮宗も分裂と合同を繰り返しているだけでしょう。 >ま、要するに学会員は本尊のコピーを正当化したい、けど 脈絡の無い決め付けをしていますね。 日興の時代から曼荼羅を大量生産できる印刷用の形木が存在しているのですから、 信徒の信仰形態として曼荼羅を拝した唱題行は想定されていた。と言えることですよ。
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- 日蓮って ver.29
606 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/16(火) 19:48:10.03 ID:NC6SwGPS - >>601
>仮の教えを基準にした末法説も当然ながら仮の教えになります。 それは違うでしょう。 末法説は久遠実成の釈迦が明らかになって確定したことですから、末法説を「仮の教え」とすることは出来ません。 久遠実成の釈迦が明らかなり、「仮の教え」の有効期限が明らかになったのが末法説でしょう。 >釈迦の入滅は人々を励ますための方便で 法華経には「釈迦の入滅は人々を励ますため」とは書かれていませんよ。
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- 日蓮って ver.29
607 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/16(火) 19:54:20.79 ID:NC6SwGPS - >>600
>種脱相対の意味という大前提が理解出来たらまたどうぞ。検索頑張って下さい。 あなたがその大前提である法華経を放棄したのでしょう。 法華経で釈迦は久遠から仏であったことを明かしますが、釈迦が仏と成った方法まで開示していません。 日蓮はそれを「久種」の下種と共に釈迦が仏と成ったと言う解釈で、「久種」の下種により、 久遠実成の釈迦と同様に、仏に成れると主張したのでしょうから、本尊抄の種脱相対が成り立ちます。 これは、下種と言う原因と共に仏に成ると言う結果が同時に起こる発想ですから、 「立正観抄」で「三観は因の義・妙法は果の義なり但因の処に果有り果の処に因有り因果倶時の妙法を観ずるが故に 是くの如き功能を得るなり」と、「因果倶時」を主張しています。 このため、久遠実成の釈迦が久種を下種することの下種益とはそのまま仏に成ることであり、 始成正覚の釈迦の脱益も仏に成ることですから、「仏に成る」点では「一同に純円」ですが、 末法に入った時期には始成正覚の釈迦の教えに効果が無く、末法の枠外にある久種を下種することは効果がある と言う話でしょう。
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- 学会の本尊はカラーコピーだった 24
723 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/16(火) 20:14:38.06 ID:NC6SwGPS - >>721
日興が一尊四士を本尊として認めていなければ関係無い話でしょう。 日蓮の曼荼羅は法華経で宝塔が現れた情景を文字で表した曼荼羅ですから、 日蓮の初期の曼荼羅には「南無妙法蓮華経」を宝塔として二仏を書いた簡略的な曼荼羅を書いています。 日興が宝塔である「南無妙法蓮華経」を無視して一尊四士のみで本尊と認めていたということでなければ、 単に一尊四士に敬意を表したと言うことでしょう。
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- 学会の本尊はカラーコピーだった 24
724 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/16(火) 20:19:07.61 ID:NC6SwGPS - >>722
日興が形木自体を否定したと言う話はどの文献に出てくるものですか? 曼荼羅を「信心も無い者に配っている」と日興が配っている者を批判したという話は 聞いたことがありますが、日興が形木自体を否定したと言う話はあなたの創作ではないですかね?
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- 日蓮って ver.29
613 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/16(火) 22:30:29.01 ID:NC6SwGPS - >>610
あなたの言う「釈迦の入滅は人々を励ますための方便」が妄想ですよ。 法華経にはあなたの言うような趣旨で釈迦の入滅は書かれておらず、 「良医病子の譬」においても、良医の死によって子供達が良医の言う事を聞いて薬を飲み病が治り、良医と再会する と言う例え話ですから、仏の入滅により、弟子達が仏の言葉を信じ仏と成ることで、再び仏に会うと言う話です。 その後のまとめでも、 『我は常に此に住すれども、諸の神通力を以って顛倒の衆生をして、近しといえども見ざらしむ 衆は我が滅度を見て 広く舎利を供養し ことごとく恋慕をいだいて 渇仰の心を生ず 衆生は既に信伏し 質直にしてこころ柔軟に 一心に仏を見ようと欲して 自ら身命を惜しまない 時に我れ及び衆僧は ともに霊鷲山に出る 我れは時に衆生に語る 常に此に在って滅せず 方便力を以ての故に 滅不滅有りと現ず』 ですから、「釈迦の入滅は人々を励ますための方便」などと言う話は法華経には書かれていないのですから、 あなたの勝手な妄想ですよ。
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- 学会の本尊はカラーコピーだった 24
728 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/16(火) 22:51:33.64 ID:NC6SwGPS - >>726
>日頂が日興の元に帰伏しているのに日頂が本尊を形木に刻んだと悪口を書かかれているのはおかしいな話 当時の事実を書いているだけなら、日頂がその後に許されているかどうかは関係無いのでは無いですかね。
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