- 日蓮って ver.29
562 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/09/13(土) 11:21:19.81 ID:KFFSVW63 - >>427
カメレスだが、責任上答えておく。 (時間が取れなくなったので) > 「彼の二十四字とこの五字とその語ことなりといえどもその意これ同じ」ではないのですか? 元意が同じでも、宗教の五綱に合わなければ、かえって害になる。 今この娑婆世界の日本で人々に二十四文字の法華経をただ説いて回って、功徳が出ると思うかな? 二十四文字の法華経は威音王仏の像法時代に合った法華経だったからこそ、不軽菩薩は成仏できたんだよ。(・・・という考え方が示されている。) > 「寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり」 前述の通り、天台の一品二半と大聖人の一品二半は、若干範囲が違う。 「答う、「一品二半」をまた「寿量品」と名づくるなり。若しこの義を知らんと欲せば、先ず須く正宗一品二半の名同義異を了すべし。謂く、一品二半の名は同じと雖も、而もその義に於て多くの不同あり。 一には配立の不同。初めに天台の配立は、涌出品の略開近顕遠及び動執生疑の半品、寿量品、分別功徳品の半品、これを一品二半と為すなり。 次に蓮祖の配立は、前の涌出品の略開近顕遠の三十余行の一段の経文を除いて、但動執生疑の半品、寿量品、分別功徳品の半品を取って、これを一品二半と名づくるなり。」観心本尊抄文段下 (根拠は後の方に記載されているので、省略) > あなたは基本をはずして文上と文底とを混同されていませんか。 あなたが文底読みを否定するような立場をとっているから、文底から説明しても無駄だと思い、文上からの説明を試みただけだ。 >>413 > 『又文殊師利、如来の滅後に末法の中に於て是の経を説かんと欲せば、 もし文殊がこの経を末法に説きたいと思うならという仮定の話であり、役に立つとか末法に説けとは述べていない。 また、安楽行品は迹門である。 法華経全体の文意を無視して部分を切り離して単体で解釈すると、法華経の本意を見失うぞ。
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563 :287=412=562[sage]:2014/09/13(土) 11:25:25.09 ID:KFFSVW63 - >>431他。
>>405と>>287(=>>412) は別人。 俺は、>>412以降は>>562までレスを一切していない。
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567 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/09/13(土) 15:20:58.35 ID:KFFSVW63 - >>566
観心本尊抄の文段には、その理由としてまず御書が挙げられているから、当家(富士派)だけの特別な法門とは言えないだろう。 「答う、天台の配立は常の如く知るべし。 蓮祖の配立は取要抄に云く 「本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、 二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり乃至問うて日く誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、答えて日く乃至末法今時の日蓮等が為なり」。観心本尊抄文段下 法華取要抄(真筆:中山法華経寺)には、確かにこのような記載がある。 (他の記述については省略) >現在のような蔑視・罵倒・嘲笑・恫喝合戦よりはあるんじゃないですかね。 (恫喝は知らんが) 「涅槃経に云く 「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せざれば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり 若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」災難対治抄(真筆:中山法華経寺)他多数 「当に知るべし瞋恚は善悪に通ずる者なり」諌暁八幡抄(真筆:富士大石寺) 暇がないのでこれで止めておく。 >>565 涌出品すらまともに読めないのか? 冒頭近くに、「止善男子。不須汝等。護持此経。」とあるのがわからんか?
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