トップページ > 創価・公明 > 2014年09月11日 > 3qBmtEEY

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名無しさん@お腹いっぱい。
日蓮って ver.29
    学会の本尊はカラーコピーだった   24

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日蓮って ver.29
477 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/11(木) 00:14:03.65 ID:3qBmtEEY
>>475
>「本尊抄送状」(52歳)は、創価学会の御書にはないのですが、

そうですか?
私は創価発刊の御書全集を持っているわけではないので、創価ネットの「日蓮大聖人御書全集 全文検索」で
「霊山浄土」を検索して出てきたものを出したのですが。
「持妙法華問答抄」も同様ですね。
無常や霊山浄土という言葉は、日蓮が身延に住み始める以前から使っており、「念仏的になってきます」と言う
根拠にはならないでしょう。

>その馬にさえ愛情を注いだ、ということです。

では、「西山殿御返事」は関係無いでしょう。
また、馬に愛情を注いだら「念仏的になってきます」と言うのもおかしな話でしょう。
日蓮って ver.29
478 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/11(木) 00:27:28.73 ID:3qBmtEEY
>>476
>単語の初出がいつかではなく、その頻度や内容全般の話ですね。

なるほど。しかし、単語の頻度もあまり関係が無いでしょう。
念仏で言う「浄土」とは阿弥陀仏の「極楽浄土」のことで、「霊山浄土」は報身の釈迦如来が法華経を説いた浄土で、
霊鷲山=霊山浄土でしょう。

「内容全般」と言うのなら、念仏的な内容と言うのを出されてはどうでしょうか?
>>443の話からは、念仏的になったと言う主張が『「無常・霊山浄土」などと言うようになり』ということで
しか読み取れません。
日蓮って ver.29
479 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/11(木) 00:54:57.15 ID:3qBmtEEY
>>471
>468の一行目からして誰も賛成しないよ。

それはどうでしょう。
法華経以外で、釈迦が仏であるという根拠が示された経典はあるのでしょうか?
    学会の本尊はカラーコピーだった   24
625 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/11(木) 17:49:46.80 ID:3qBmtEEY
>>624

現在の公式参拝は「政教一致」そのものではありませんよ。
「政教一致」と言うのは、宗教が政治行政機関の一つになることを言います。
現在の政府要人が靖国に参拝する問題は、靖国が過去の政府によって作られ、
政治行政機関の一つであったためで、いわば、「政教一致」の名残り。であるためです。
このため、現在の公式参拝は「政教一致」そのものではありません。
日蓮って ver.29
484 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/11(木) 18:06:14.37 ID:3qBmtEEY
>>481
>てか、釈迦が仏でないと言ってる経典てあるのか
釈迦が仏でないと言っていないなら、仏になるのであれば、
日蓮も仏でないと言っていないなら、仏になってしまうでしょう。
法華経を仏説としない場合、釈迦が仏であると言う話は、弟子達の「他者評価」であるだけです。
これは、日蓮を仏とする日蓮の弟子達の主張と同レベルになるだけですよ。

>>482
>あなたは知らない、分からない、読み取れない。
それはあなたの方でしょう。もしくは、あなたがあなたにとって都合の悪い文章を無視しているだけでしょう。
「本尊抄」の「但し彼は脱此れは種なり」は普通に読めば、両者の差異を提示している部分です。

>馬の話で西山殿御返事に噛み付いているようではね。毎度のことですが。
噛み付いたと言うより、「西山殿御返事」と「晩年の日蓮は、常陸での温泉湯治を決意し馬に乗って旅立ちます。
その馬にさえ愛情を注いだ」と言う話に関連性が無く、「その馬にさえ愛情を注いだ」と言うことが、
「念仏的になってきます」ということの根拠にならないだけです。

「霊山浄土」も念仏で言う阿弥陀仏の「極楽浄土」とは違いますから、
「念仏的になってきます」ということの根拠になりません。
日蓮って ver.29
486 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/11(木) 19:30:32.89 ID:3qBmtEEY
>>485

そうですね。釈迦を信奉する弟子たちが「釈迦のことを別名で仏陀と呼んだ」と言うことでしょうから、
「仏」は「仏陀」の略で、>>439が出した語源、『「仏陀」の意味は「buddha はサンスクリットで
「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」などの意味」とあり、仮に「他者が尊称で使う言葉」であれば、
「他者評価」として「仏陀」が用いられている』であれば、日蓮を信奉する弟子達が、日蓮を「仏」と呼んでいても
それ自体は間違いでは無いことになります。
日蓮って ver.29
489 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/11(木) 20:36:40.42 ID:3qBmtEEY
>>488

論破も何も、あなたの「念仏的になった」と言う話の根拠が間違っていただけでしょう。
>>476は「内容全般の話」としていますが、あなたの話は「無常・霊山浄土」が使われだしたという話しで、
そもそも、日蓮が身延に住む以前から使われている言葉です。また、馬の話は念仏的になったとは言えない話です。
「無常」は念仏に限らず、仏教全般で使われますし、「霊山浄土」と言う言葉は、念仏の「極楽浄土」のことでは無いのですから、
「霊山浄土」と言う言葉が使われた。や頻繁に使われたからと言って、「念仏的になった」とは言えません。
日蓮って ver.29
493 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/11(木) 21:48:31.51 ID:3qBmtEEY
>>491
>晩年は、肩をいからせることもなく、素直で優しい日蓮になっ
>ていたと思います。

と言うことが、「念仏的になった」と言う根拠にはならないでしょう。
日蓮って ver.29
496 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/11(木) 22:40:24.61 ID:3qBmtEEY
>>492
>最初の娑婆世界を仏国土に変ずるという立場から
>霊山浄土に往生して釈尊に見える、という立場に
>なってる

なるほど。
しかし、仏教では「娑婆」が我々が住む仏国土の名前と言うことですから、日蓮が「娑婆世界を仏国土に変ずるという立場」なのは
あなたの勘違いでしょう。仏教では、娑婆という仏国土の中心が霊山浄土(霊鷲山)ですから、変えるも何もなく、
霊山浄土も娑婆世界の一部ですよ。
また、「霊山浄土に往生して釈尊に見える、という立場」とあなたは言いますが、「霊山浄土に往生して」と言う表現は
日蓮の書には無いのでは無いしょうかね。
日蓮の時代でも「往生」は「極楽浄土に生まれ変わる」との意で使われていると思われ、創価ので検索をしても
「霊山浄土 往生」もしくは「霊鷲山 往生」のどちらも出てきませんでした。

あなたの言う「最初の娑婆世界を仏国土に変ずるという立場」があなたの勘違いだと思いますよ。
日蓮って ver.29
499 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/09/11(木) 23:06:49.92 ID:3qBmtEEY
>>497
>その通り。>>448さんも書いて下さってますね。日蓮文書もあります。有名な話なんですけどね。

なら、それを出せばいいんじゃないですか?

日蓮の書で「霊山浄土」が出てくる書は、死んだ信者、もしくは、日蓮自身が死んだら「霊山浄土で久遠の釈迦に会う」と言う話し
ですから、法華経の虚空会の場に呼び出された地涌の菩薩に死んだ信者、もしくは、日蓮自身を準えているのでしょう。
そもそも、「霊山浄土で久遠の釈迦に会う」と言う点で、釈迦の仏国土である娑婆世界を離れて「極楽浄土に生まれ変わる」
と言う念仏とは思想的に異なることでしょう。

短文の>>448も>>492と同様に日蓮が言う「霊山浄土」と念仏の「極楽浄土」を混同して、浄土思想に傾いたと言っているだけでしょう。


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