- 日蓮って ver.29
412 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/09/08(月) 16:20:27.10 ID:Mh9Svdtv - >>375
しっかりしろよ・・・・法華経自体に二十四文字の法華経が登場するだろうが。 例の二十四文字は法華経ではないと反論しそうなので、不軽品自体からその根拠を上げる。 冒頭近くで、「其所得功徳。如向所説。眼耳鼻舌身意清浄。」 (法華経を受持すると得られる功徳は、眼・耳・鼻・舌・身・意が清浄になるというもの。) そして、不軽菩薩が二十四文字を唱え続け、寿命が尽きようとした時、 「是比丘。臨欲終時。於虚空中。具聞威音王仏。先所説法華経。二十千万億偈。悉能受持。即得如上。眼根清浄。耳鼻舌身意根清浄。」 彼は、眼・耳・鼻・舌・身・意が清浄になったとある。 つまり、彼が修行していた二十四文字も、法華経という事になるのだ。 法華経でない劣った法なら法華経に縁がないため、威音王仏の法華経の偈は聞こえないはずであり、「眼耳鼻舌身意清浄」を得ることもなかった。 あるいは・・・不軽菩薩は、釈尊の修行時代の過去世とされる。 そして、釈尊は寿量品で法華経を修行して成仏したことが示されている。「我本行菩薩道」 (以下ry >文底義 これにこだわりたいようだが、種・熟・脱の三益は、元々天台の分類。 釈尊在世・正法・像法の衆生は、過去の釈尊に下種・調熟された人間(本已有善:天台定義)であるから、在世の脱益(もしくは摩訶止観)で成道が可能。 そして、そういう釈尊に縁がある人間がいなくなり、釈尊に縁のない者(本未有善:天台定義)ばかりになると、釈尊の説いた法は役に立たなくなる。 それを、末法と呼ぶ。 そして、天台は、末法には広く正法が広まるだろうと予言しているが、その中身については詳しく述べていない。 もし、妙法蓮華経だというなら、きっちりそう示すはずだが。(伝教も同様。) あなたの解釈は、もはや天台読みにも劣る。
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