- 日蓮って ver.29
218 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/09/02(火) 20:26:58.60 ID:XyN3V39Z - >>215
経文を教えていただき、ありがとうございます。方便品第二は、知っていた よりかなり長いんですね。私が知っていたのは、前半だけでした。 >>207 >私見ながら、ガンダーラ仏教の美術が盛んに行われた期間、またはその 以降にこの物語が作られた可能性は大にあると思われますね。 その通りだと思います。釈迦が亡くなってから、遺骨は分けられてストゥー パに埋葬されました。釈迦滅後500年間、インドは平和な時期が続き、釈迦 は、「農業の神様」としてあがめられ、人々はストゥーパで祈りを捧げてい ました。ところが、紀元前後に北方遊牧民族が侵入し、ガンダーラを中心に 大虐殺が起きました。特に仏教徒は、「殺すなかれ」という釈迦の言葉を守 って、抵抗せずに殺されていきました。こうした絶望的な状況において、生 き残った仏教徒は、釈迦に「救世主」であることを求め始めました。生き残 ることにせっぱつまると、仏教の根本である「無常・無我・縁起」などと言 っていられなくなり、とにかく一目でも釈迦に会いたいと思うようになりま す。しかし、釈迦は自分をあがめるな、法をあがめよ、と言い残して亡くな ったので釈迦を仏像にすることには、ためらいがありました。そこで、まず 菩薩像を作ります。そして、ようやく次に釈迦像を作り始めました。 おそらく、法華経の制作者たちは、釈迦像の前で瞑想をし、直接、釈迦から 説法を聞いているつもりで、法華経を制作していったのではないか、と思い ます。 神を像に彫刻するというのは、ギリシャ人特有の伝統ですが、ガンダーラは シルクロードの要衝にあり、東西の文化や色んな民族が集まっていたので、 まず、ギリシャ系の仏教徒が、菩薩像を作ったのだと思います。 る、「」
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