- 学会の本尊はカラーコピーだった 24
431 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/09/01(月) 11:44:04.18 ID:T50+QMvQ - >>430
> いや、どこに紙でないとダメだよ、と書いているのかさっぱりわからなくて、 御本尊とは、その宗派の根本であり、これが違えば違う宗派。 もし、大聖人が仏像を本尊にしたというなら、さらに御本尊を認める事は本尊をあやふやにするから大謗法である。 仏像は釈尊(妙法蓮華経)、漫荼羅本尊は大聖人(南無妙法蓮華経)であり、別物だからだ。 「(漫荼羅本尊は)日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ、 仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」経王殿御返事(文永十年八月) ここでは、対比させる形で、釈尊と「妙法蓮華経」、大聖人と「南無妙法蓮華経(漫荼羅本尊)」は等価であると説明されている。 もし仏像と漫荼羅本尊が同等ならば、釈尊=妙法蓮華経=大聖人=南無妙法蓮華経と考えることになる。 日蓮宗(身延)の三宝定義では、僧宝を日蓮大菩薩として釈尊の弟子という形を取っているが、これとも矛盾することになる。 三宝の定義は、ご本尊をどう敬うかを示すものであり、ご本尊とセットになった最重要の教義である。 これに明らかにに矛盾する教義は、本来なら排除すべきだろう。 「此の南無妙法蓮華経に余事をまじへばゆゆしきひが事なり」上野殿御返事弘安元年四月一日 「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」種種御振舞御書
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