- 学会の本尊はカラーコピーだった 24
349 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw []:2014/08/26(火) 08:13:32.37 ID:CvbzLzJt - >>344 の 326さん
私は、この本のような創価学会の古い本を、批判のための証拠として使うために古本として入手 しましたが(もちろん、創価学会の主張を理解・把握する為でもあります。)、しかし、アナタの立場では、 私とは別な意味で今日読んでも参考になるのではないかと思いますよ。 目にする機会がありましたら、御自身の信仰について考える上でも、この時期の文献も読んでみてください。 戸田氏の例の講演を文書化したものに関してですが、確認のために見て先程気付いたのですが、 6ページほどの本文の方では“相対的幸福と絶対的幸福”と題されているのですけれど、目次では、 同じ個所は“幸福とは何か”と題されているのですね。 その前半半分ほどは、今はやりの言い方で言えば“つかみ”と言える内容で、直接幸福を論じた内容では なく、残り半分強で“相対的幸福と絶対的幸福”なるものが論じられているのですが、アナタの言う 「絶対的幸福を志す中で自分を助ける力として相対的幸福(現世的な幸福)も実現されていくという内容」 では、文面上は語られていないと思います。 一言でまとめれば、絶対的幸福(戸田氏は、説明の最初の方で「絶対的幸福を成仏というのであります。」 と述べています。)に到達するなら、当然に相対的幸福は達成される、というような話の展開ですね。 ただ、アナタのように解するのが間違いかと言うと、そういう内容ではないでしょう。 「俗世的な御利益そのものが本当の目的ではない、それはキリスト教も然りと言おうとした」との事ですが、 宗教は、そうでなくては本物の宗教たりえない、と私も思います。 ただ、創価学会は、過去にそのような点を強調し過ぎ、そのような観点から他宗を批判しすぎてきたが 故に、それが今日問題とされてしまうわけです。 ところで、一つ気になるのですけれど、創価学会は「境涯」という言葉と“境界”という用語を区別して 使っているように思うのですが、「“絶対幸福の境涯”」の場合は、創価学会の語法としては“境界”が 適当なのではないでしょうか?
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