- 日蓮って ver.28
617 :ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI [sage]:2014/07/22(火) 17:31:10.31 ID:NMCHDKYq - >>610
>3000光年の惑星さん(ですか? できればコテハンをつけてほしいのですが…) >現代人は信じるということができなくなっていると思います。 さあどうでしょうか。 僕はどのような時代でも、人は信じることをやめることはできないと思っています。 特定の信仰を持っていない人でも、神社やお寺には行きますし、占いが好きだったり、幽霊や魂を信じていたりするでしょう。 科学的な根拠など無くても、人は簡単に神秘的なものを信じます。 特に、難病にかかっただとか、自殺を考えているほど借金しているだとか、自分の力ではどうにもならない苦難に直面したとき、いともたやすく人は「助かりますよ」という言葉にすがってしまいます。 創価学会の会員数は800万世帯だそうですね。 ものすごい数です。 幸福の科学、統一協会、たくさんのキリスト教系の新宗教。 熱心に信じて信仰する人は日本にもたくさんいます。 変な宗教にひっかかって一財産失った、という話をよく聞きませんか。
|
- 日蓮って ver.28
618 :ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI [sage]:2014/07/22(火) 17:31:54.13 ID:NMCHDKYq - >>610
>こんな世の中で、あなたは何を信じているでしょう? いろいろなものを信じていますよ。 現代の常識的な世界観みたいなものは、とりあえず正しいという前提でなければ生活できませんから…。 また、「人にはできるだけ親切にするようにしよう」とか「嘘はつかないようにしよう」とかいった、倫理観のようなものもあります。 その倫理観が正しいとは限りませんが(倫理観は時代によって変わりますから)、さしあたって正しかろうと信じています。 僕のような人はごく一般的だと思いますよ。 それで、何も生活に不自由はありません。 判断が必要なものに関しては、文献的な証拠(客観的な情報)、理屈が通っているか、現実に即しているか、ということを指標に考えるようにしています。 いわゆる、日蓮のいう三証と同じことですが、創価学会員の方は三証を実践されていない方が大変目立つようです。 文献的な証拠、理屈が通っているか、現実に即しているか、そういったものを数々あげて議論をしていても、 最終的に「とにかく信じれば分かる」「信じなければわからない」という結論になりやすいのです。 でもそれでは、どんな宗教やどんな思想でも、同じ理屈で全部正しい、となってしまうではありませんか。
|
- 日蓮って ver.28
619 :ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI [sage]:2014/07/22(火) 17:32:56.08 ID:NMCHDKYq - >>610
>今の日本では、誰も何も信じていません。 >未来さえ信じておらず、子どもが生まれないどころか、恋愛さえしなくなっています。 >政治家も感情的に目先の理想を追うだけで、自分たちが死んだ後のことなどまるで無関心のように見えます。 >か弱い民衆のために、命を投げ出すような人は1人もいません。 あなたが大変熱い正義感の溢れた方だということはよくわかりました。 しかしあなたは世の中を知らなさすぎます。 そして、あなたは本気で世の中の問題を解決しようと動いたことなど無いのでしょう。 実際に社会の問題を解決しようと活動している人はたくさんいます。 例えば、NPO法人を調べてみてください。 政治家も皆が皆変な人ばかりでもありません。 >まして、法華経すなわち真実の善のために死ぬ人などいません。 それは、法華経を信仰している人だけに通じる言葉ですよね。 今の文脈ではおかしくないですか? >日蓮を批判するなら、自分がその人になっていただきたい。 なぜでしょう? なぜ批判する人にならなければならないのですか? >釈尊を信奉するなら、いかなる犠牲をも惜しまずその教えを広めてもらいたい。 僕は釈迦の思想に共感はしても、釈迦を信奉はしていません。 あなたは、おそらく、大乗仏教で神格化された釈迦しか知らないのでしょう。 初期の釈迦の教えで、「信仰を捨てよ」というのを聞いたことがありますか? 釈迦は信仰至上主義的な信仰を否定していたんですよね。 呪文を唱えると願いが叶う、なんて信仰を釈迦は決して肯定しなかったと思いますよ。
|
- 日蓮って ver.28
620 :ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI [sage]:2014/07/22(火) 17:33:41.56 ID:NMCHDKYq - >>610
>それをせずして、日蓮とその信徒を罵るなど最低の行為です。 大前提として、「日蓮や創価学会が正しく、それを批判すること自体が悪」、という態度では、話がかみ合いませんよ。 そういう思考でしかものを考えられなくなっているのだとしたら、それはあなたがマインドコントロールされている証拠なのだと思います。 >これをもってしても、彼らが仏法の因果を観念的にしか捉えていないのは明らかです。 > >観念的な死も地獄も、恐ろしくありません。 >だからこそ、相手を言葉によって殺すことができるのでしょう。 >そんな連中が仏教を語るのですから、まさに世も末ではないでしょうか?。 ちょっとこの辺の意味がよくわかりませんでした。 でも、少し深呼吸して、 ・自分にとっての正義は相手にとっては正義ではないかも知れない。相手にとっての正義もあるのかも知れない。 ・自分は、相手の言葉がとても粗暴で汚く聞こえるが、相手にとって自分の言葉はどう響いているのか。 ・相手に通じる言葉を自分は発しているのか。自分にだけ分かる言葉になっていないか。 この辺を想像していただけたらな、と思います。
|
- 日蓮って ver.28
624 :ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI [sage]:2014/07/22(火) 21:43:53.75 ID:NMCHDKYq - >>621
すみません。 ほんとーにお願いしたいのは、番号でもなんでもいいからコテハンをつけてください、ということです。 大乗非仏説さん以外が誰が誰だか分からないのです。 >私は宗教文学としてみて、法華経は支離滅裂だと言っているのです。 いいんじゃないですか? 超現実的な物語で支離滅裂だと僕も思っていますよ。 >建物の出口が釈尊の教えだというなら、三つの車がその出口の外にあるのはおかしいでしょう。 車で出口に行くのではなく、「車があるよ、だから外に行きなさい」 としているのが不自然だということでしょうか。 確かにそうですね。どうしてそういう喩えになっているのかは僕はわかりません。 この喩えは舎利弗が考えて、彼自身が喩えの意味を解説しているので、解釈を間違えるってことはないと思いますが。 でも何しろ二千年前の作品ですから、今と考え方が違うところもたくさんあるんじゃないでしょうか。 聖書だって、読んでいて、「?」と思うところはたくさんありますよね。 >あなたも現代の目線で常識的な解釈に落とし所を探っていますが、それこそある意味で原理主義的なドグマにとらわれているからです。 ちょっとよくわかりません。 僕は現代からから見て常識的な解釈をするというよりは、当時の状況から見て自然な解釈をしたいと思っています。 また、どういう意味で原理主義的なドグマなんでしょう。
|
- 日蓮って ver.28
625 :ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI [sage]:2014/07/22(火) 21:45:48.94 ID:NMCHDKYq - >>623
>あなたのレスは一貫して法華経を擁護しようとするものです。 擁護というか、古典文学に良いも悪いもないと思っているのですが…。 法華経は美しい文学だと思っていますが、そこに語られる思想、信仰至上主義的なものは僕は嫌いです。 この信仰至上主義が、後に狂信的な傾向のある宗教を生んでしまうことになる、ということも了解しています。 それでも、方便品の信仰の多様性を認める姿勢ですとか、安楽行品の他人と争わない態度、常不軽菩薩品の他人を尊重する姿勢などは好きです。 これらは先にいった「法華経を信仰する狂信的な傾向のある宗教」には決定的に欠けている点だと思いますので、 「あなたが信仰する法華経には、実はこんなことが書かれているのですよ」、ということで、このスレでは強調して何度も言うようにしています。 むしろあなたに、執拗に法華経を悪しきものとしなければならない執念のようなものを感じますよ。 >例えばあなたの577は、574氏への中身のある答えになっていないし、 そうでしょうか? 僕はうまく答えられたと思っているのですが…。 具体的に反論してみてくれませんか。 >586は私の581の五千人の退席の質問の答えになっていないと思います。 すみません。言うほどの事でもないと思ったので、スルーしていました。 5000人の退席の場面は、ダイバダッタが500人の弟子を引き連れて教団を分裂させた、というお話がもとになっているという説があります。
|
- 日蓮って ver.28
628 :ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI [sage]:2014/07/22(火) 22:23:15.75 ID:NMCHDKYq - >>626
>1.だから私は超現実を問題にしてはいません。超現実と支離滅裂を無理やり一緒にしないでください。 はい。超現実的な物語で、かつ、支離滅裂と思えるところもありますね。あくまで現代からの視点ですけど。 >2.出口が釈尊の教えなら、三車が外にあるのはおかしい、舎利弗にそう言わせた作者がおかしい。この矛盾は当時でも現代でもおかしいのです。 作者が考えた喩えが不適切だったと言うのですね。そうかもしれませんね。 僕も今の時点では、「車に乗って出口に出た方がわかりやすいんじゃないかなあ」と思いますけど、自信満々で、「作者の設定ミスだ!」とはちょっと言えないですね。 どんなことにでも理由があると思っていますから、何か理由があるかもな、とも思います。 僕は仏教学者でもありませんし。 > ちなみに聖書で?というところはどこですか?御指摘いただきたい。 「聖書 矛盾」、と検索するとたくさん出てきますよね…。 聖書に矛盾があるかないか、という話は重要ですか? >3.当時なら出口が釈尊の教えで車が外というのはどうして自然な解釈になるのですか? > ドグマと言うのは法華経は表現はともかく、仏教の道理を説いているに違いないというあなたの先入観です。 自然な解釈というか、舎利弗が考えて舎利弗が解説しているのだから、そういうものだと思うしかないのでは…。 もちろん、「おめーの喩えは意味がわからんよ!」と舎利弗につっこみ入れてもいいですけど。 僕は全く、「法華経は表現はともかく、仏教の道理を説いているに違いない」などと思っていませんよ? どんなものでも、良いことが書いてあると思えば、「そうだなあ」、と思い、 同意できないことが書いてあれば、「違うんじゃないの?」と、自由な読み方をすればいいと思いますよ。
|
- 日蓮って ver.28
629 :ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI [sage]:2014/07/22(火) 22:31:06.37 ID:NMCHDKYq - >>627
>1.古典文学も現代文学も良い悪いはあると思いますが、これは好みの問題ですから構いません。 > したがって好奇心からお尋ねしますが、たとえば法華経のどこが美しいと感じましたか? やはりスケールが大きいというのが魅力ですね。 出てくる数、空間、時間、全てのスケールが大きく、まるでSF作品のようですね。 >2.方便品のどこが信仰の多様性を認めていると思いますか? >4.私は574氏と同説なので反論する理由がありません。それくらいはわかるでしょう。 >>577に反論するかたちでもう一度質問してもらえますでしょうか。
|