- 日蓮って ver.28
352 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/07/02(水) 00:57:11.32 ID:QWuoAFDn - 仏教は、何か信じられる真実を得て、心の安定が得られるところまでが目標で、
そういう要求のある人が満足できればそれでよし、みたいな宗教なのは確か。 そのいろんなパターンが宗派となって今に至っていると言ってもよいと思う。 日蓮の宗教は、要するにまさしく「方便」そのものだろう。 結果として心が安定し、生気に満ち、喜びが得られればそれでよい、そのための 方法論としての行法の確立というところにすべてがあると思う。それが満たされれば、 それが真の仏教である、みたいな理解になっているだろう。 だから、型式は真言密教風で、それを経文で裏付けるみたいな形で収めることにし、 いわばテキトーに纏め上げた。それがそれなりにまとまったものになったので、 とりあえず方便として成り立った。 そしてそれが後代まで「そうなんだと信じる人々がその型式を固めて今に至っている」 だけだと感じる。それはみんな生理学に過ぎないし、たまたま経文的につなげることが できただけだと言えるはず。たぶん、そんなものですねぇ。 で、所詮は大乗非仏説であるし、釈迦ですら大悟とはいえ、とりあえず当時の 人間の当時の達した範囲での「人間知性の到達点」としての悟りでしかなく、 しかしそれはそれで「自然世界と人間世界」での範囲で筋が通る悟り方を 矛盾しない言語で説教できたことで示せたということに過ぎまい。 所詮はそれらは人間の知的到達点であり、諦観にすぎない。仏教ならではの 到達点でしかないだけである。それで当面は「自分の心」が落ち着けばそれで 解答としたまでにすぎないのだからだ。
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- 日蓮って ver.28
353 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/07/02(水) 01:04:47.56 ID:QWuoAFDn - だから、仏教は、所詮、人の思索の到達点に過ぎない。それが瞑想的なそれであれ、
体感的なそれであれ、いずれにしても所詮は諦観としての理解、納得の世界であり、 単に理解できる範囲で納得できたから、それが真理であり、真実であり、心が 落ち着いたからそれが本当なんだ、と方便としての決着をつけたことにできるという 落ちのつけ方で出来上がったものにすぎない。 だが、心が落ち着いたから真理であるとか、真実であるとか、果たしてそんなものが 一体全体、本当だろうか? いや本当であるわけがない。そんなものは、狂人につける薬に過ぎないのだから、 すべては単なる<方便>である。 仏教はことごとくが、すべて方便である。心が落ち着けばよいのだからだ。
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361 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/07/02(水) 13:39:45.92 ID:QWuoAFDn - >>355
>心の安定のために、教えが方便というだけでは、気休めになりさえすれば方法は >問わないというだけの話になる。仏教が、真の心の安定は理法を洞察し、 >正しい修行によって達成されると説く。大乗なら、利他の心を確固として持つ、 >それが大前提だ。 その理法というのが真理だとか真実だとかである保証はあるのか? >心の安定のために他宗を誹謗中傷したり、他宗の僧侶を斬首しろと権力に提言したり >病人救済に難癖をつけたりされてはたまったものではない そんなことは言ってない。 ただ「理法だ」と「思って」、「心が安定する」なら、それが真理だとか 真実だとか言えるのか、と言っている。
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363 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/07/02(水) 13:48:08.21 ID:QWuoAFDn - >>361 つづき
何事も落ち着いていなければすべて事をし損じるものだし、うっかりの ミスも避けられない場合が多い。 心の安定は必要だろう。 だが、心の安定が得られたから、その信じたものが本当だとか真実だとか、 真理なのだとかの証明にはならない。 「理法だから」信じると心が安定するのだという話は成り立つのか? それは本当に「理法だから」なのか? あるいは理法であったとしよう、真理であったとしよう、だとしても 「あなたの理法だと思っているもの」が「本当に真実なのか」は、実はわかるまい。 わかるだろうか、だから「心が安定し、落ち着いた、だからその信じたものが 正しい」とか真理だとかなどは言えない。 理法だから心が安定した、というのが仮に正しかったとしても、あなたの 信じたものが真理であり真実である保証などそもそもがあるのか? 心が安定することで、そこでそれでよりとしているに過ぎないのである。 これが真実であろう。
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364 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/07/02(水) 13:51:18.07 ID:QWuoAFDn - >>363
訂正 >心が安定することで、そこでそれでよりとしているに過ぎないのである →心が安定することで「それでよし」としているに過ぎないのである
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