トップページ > 創価・公明 > 2014年06月27日 > eieHEhjq

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148
創価女子短大の現役生徒ですが何か質問ありますか?

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創価女子短大の現役生徒ですが何か質問ありますか?
158 :148[]:2014/06/27(金) 12:19:34.58 ID:eieHEhjq
>>154
スレ主ではありませんが、僭越ながらレスの主として返答します。

創大におけるサークルの自治のありなしについてですが、154さんが学会員であれば説明は簡単です。
答えは、創大における学生サークル等の自治の実態は、創価学会における人材グループ等の自治の実態と同じです。
創価学会の人材グループ等に自治はありますか?
それを鑑みて創価大学に当てはめてもらえれば、創価大学の学生サークルに自治があるかないかは想像が付くはずです。
創価大学は、創価学会組織と比べて決して違ったり特別な所はありません。
創価大学の様々な組織のあり方は、基本的に創価学会組織のあり方と同じです。
なにしろトップが同じですから。

具体例を挙げましょう。
創価大学には学生自治会という組織(通称SU)があります。
大雑把に表現すると大学における学級委員会みたいな組織です。
名目は、学生の自治により学生をまとめたり、学生の自治により学生代表として大学と交渉したり、学生代表の立場で外部の訪問者を迎えたりなど。
しかし実際の学生自治会の活動内容は、創価学会本部が創価大学の学生を監視監督するための創価大学出張所と表現できるでしょう。
自治会から創価学会本部に就職する学生が多いことから、学会本部就職のための職業訓練所とも表現できます。

ある出来事を借りて、創価大学学生自治会の役割を表現します。
創立者がまだお元気で大学に頻繁に来学されていたとある頃、日本の大学全体で学生の側が教員の講義を評価して悪いものは糾弾しようとする流れが起こった時期がありました。
大学の講義というのは、学生が真面目に聴講しないことをいいことに手抜き講義が溢れていたからです。
創価大学学生自治会もこの時流に乗り、学生から教員や講義の質に関するアンケートをとって、学生の評価の悪い質の低い教員や講義を公表しようとする行動を起こしました。
教員からは当然のごとくこの学生の動きに反発が起こりました。
しかし学生自治会は、教員の反発を押しきり
学生から教員や講義に関するアンケートをとって、その結果を学内に張り出しました。
一見すると、質の低い教員や講義の改善を促そうとする学生の自治による殊勝な活動です。
創価女子短大の現役生徒ですが何か質問ありますか?
159 :148[]:2014/06/27(金) 12:20:19.63 ID:eieHEhjq
しかし実際のところは、私はこう聞いていました。
学生自治会が教員や講義に関するアンケートを学生からとることを創価学会本部に提案報告したところ、創立者から「教員は威張っている」「どんどんやれ」と返事がきたと聞いています。
創立者は大学で「学生のための教員」という指導を常々されていましたが、それでは事足りず、学生の前で小室学長に対し「大威張りの金太郎」と蔑むなど教員を貶める言動が多々ありました。
もし学生自治会に創立者から「教員は努力している」「講義評価は教員に失礼だからやめなさい」という指導がきたら学生自治会はこの学生による教員・講義の評価行動をやめていたことでしょう。
創立者による「どんどんやれ」に乗せられたからかは知りませんが、学生自治会は講義評価だけでは満足いかなかったようで教員の研究名目の参考文献購入費やコピー枚数などを調べ始めました。(今はどうか知らないが、当時は研究目的の書籍購入費やコピー経費は大学負担)
そしてそれらの額があまりに使いすぎで大学に負担をかけ、創立者にご迷惑をおかけしているという解釈を行い、教員攻撃の材料に使い始める学生自治会員が現れました。
当初は講義評価が目的でしたがそれがエスカレートして教員への直接攻撃への変化が見られました。
この流れに、創価vs宗門の戦いに類似したものを私は感じました。
これは自治とは呼べない性格のものです。
北朝鮮のように人民に行動基準を下す最終審判者がいて人民を煽り、常に人民はその最終審判者に判断と行動を委ねてしまっている状態です。
創価女子短大の現役生徒ですが何か質問ありますか?
160 :148[]:2014/06/27(金) 12:24:16.54 ID:eieHEhjq
サークルに目を移しますと、創価大学のサークルには創立者から頻繁に激励文や差し入れがあります。
差し入れの内容はサークルの性格によって異なりますが、そこで生じる学生と創立者との関係は「学生は創立者から常に恩を受けている」「恩がある創立者のために頑張らないと申し訳ない」という主従関係です。
サークルは常に大学から物理的に干渉されているわけではありません。
しかし、「創立者からの恩に報いなさい」「創立者を裏切るような行動はとってはならない」という精神的な干渉はあります。
大学やサークルOBなどから報恩のプレッシャーを与えられます。
自治という面から見れば、到底自治にはなり得ません。
なぜなら自分を治める判断基準は自分ではなく、自分に恩を与え続けてくれている人を自分を治める判断基準にしようとする心理が働くからです。

創価学会の世界での報恩とは、言い換えれば池田先生からの束縛です。
池田先生は常々「恩知らずは犬畜生にも劣る」という指導をされましたが、それは言い換えれば「恩を与えている師匠である俺の言う通りにしなければ弟子失格であり、創価の世界にはいられない」ということです。
創価大学のサークルも、創価学会の人材グループも一緒です。
ここに自治は生まれますか?
生まれませんよね。
幹部から「今のあなた、君があるのは全て池田先生のお陰」と指導され、 自分の意思を棄てて常に池田先生のために行動することを求められます。
この関係が創価学会では美化され正当化されて師弟不二と呼ばれます。
この関係は、私はファシズムが形を変えただけだと解釈しています。


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