トップページ > 創価・公明 > 2014年06月24日 > DoZ1vxvt

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ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI
日蓮って ver.28

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日蓮って ver.28
216 :ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI [sage]:2014/06/24(火) 14:38:33.04 ID:DoZ1vxvt
>>212 大乗非仏説さん

サンスクリットの法華経原典(今は現存していませんが)の十如是部分はおっしゃるとおり、
五如是ともいえるもので、これが鳩摩羅什訳 妙法蓮華経で十如是となっているのは意訳(?)
だと思います。
ここだけでなく、漢訳教典には訳者自身の解釈や悟り(?)が盛り込まれていることが多いようですね。

中国の仏教研究や教判研究というのは、我々が考える「研究」とは異なっており、客観的な意味で原典の
思想を読み取ろうとするものと別物と考えた方がよさそうです。
「文底」という言葉もありますが、いわば深読みのロールシャッハテストのようなものでしょう。

昔の人は、教典の底には仏陀である釈尊の「本意」が秘し沈められている、という信念をもっていたので、
こうした「深読みや解釈によって真実に到達する」という」考え方が通用したのだと思いますが、
現代ではそのように考える必要はなく、読む人によっていろいろな真実が見えてくるのでしょう、と思います。
日蓮って ver.28
217 :ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI [sage]:2014/06/24(火) 14:39:42.43 ID:DoZ1vxvt
>>212 (続き)
何が言いたいかといいますと、

>>213, >>215
上記のようなことはいかにも現代的な解釈ですね。

創価学会では、二代戸田会長の獄中の宗教体験(創価学会員は悟りと位置づけている?)に基づいて、
「仏=生命」という解釈で教典や御書(日蓮の遺文)を理解しています。

これはこれで信仰の1つのあり方だとは思うのですが、深読みや解釈はあくまでそれ以上でもそれ以下でもなく、
それが正しいか正しくないか、ということを客観的に議論できる類のものではないということです。

むしろ真面目に仏教を探求している方から見れば、勝手な解釈は仏教を愚弄していると見られることもあるでしょうね。
日蓮って ver.28
218 :ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI [sage]:2014/06/24(火) 15:05:08.84 ID:DoZ1vxvt
おそらく >>213, >>215 さんは創価学会員だと思うのですが、

実際の創価学会員が、はたして本当に
>>152 で述べた、
(1)-(4)のような世界観を持っているのか、
持っているのだとしたら、何を根拠にそれを信じているのか、気になりますね。
日蓮って ver.28
220 :ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI [sage]:2014/06/24(火) 15:47:04.25 ID:DoZ1vxvt
>>219
レスありがとうございます。

以下はあなたのレスでしょうか。
>>199, >>200, >>201, >>203, >>204, >>206, >>210, >>211, >>213, >>215,

混乱がないようにやりとりできるように、ぜひコテハンをつけていただきたく思います。

>日蓮(敬称略)著 可延定業書(真蹟:中山法華経寺 弘安二年)
>■命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれを延るならば千万両の金にもすぎたり。
>法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし。

単純に読むならば、「命は大事ですよ」という当たり前のことを言っているだけに見えるのですが…。
(おそらく日蓮風価値観にてらせば、1日生きながらえるだけ、法華経を弘めることができるから、とでも言いそうです)
「法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし。」
は、「寿量品が仏の寿命が永遠だと説いているから」ですよね。ごく自然な話です。

この御書の文面と、あなたの言葉

>諸事象を認知できるのは生命体である事から鑑みまするに、
>サッダルマ・プンダリーカ・スートラは生命体を賛美しているのではないでしょうか。

はだいぶ異なる話だと思うのです。
もしあなたの言っていることが本当であれば、むしろ「仏=生命」という主旨のことを
たくさん言っていなければおかしいのではないでしょうか。
日蓮って ver.28
225 :ひゃっきまる ◆KnSOULKlyI [sage]:2014/06/24(火) 22:01:35.53 ID:DoZ1vxvt
>>221

>化儀と化法の性質を同じに考えるべきではない。
>化法というのは、変わる事のない真実・法則そのもの。
>これの深いところは、何度も主張しなくても、教義を詳しく解釈した重要御書の中で述べればよい性質のもの。
>「仏=生命」の概念は、これに該当する。

(1) 「仏=生命」の概念が述べられている、重要御書とはなんでしょうか。示していただきたく思います。

(2) 多くの宗派の人間が、「私の考えている化法の解釈が正しい」と主張し合った場合、どのように判断できるでしょうか?
  例えば、「仏=生命」などとは仏教ではなく外道の教えだ、という考え方をする人も多いでしょう。

>一応断っておくが、「仏=生命」の概念は、天台宗ですでに登場している。

(3)その根拠を示していただきたく思います。 九識論にも一念三千にもそのような話はないと思うのですが。


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