トップページ > 創価・公明 > 2014年06月08日 > ruZljEk+

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名無しさん@お腹いっぱい。
【板まんだら事件・元民音職員】松本修明って何者?

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【板まんだら事件・元民音職員】松本修明って何者?
684 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/06/08(日) 06:41:33.74 ID:ruZljEk+
>>679-683
>モロバレww 「ハイエナ商法の餌食の香ばしい面々」
集合体でのイチャモン?自覚のない病理気質・境界性パーソナリティ等の方々が多いのですぐにバレる。
「相伝捏造尊師」に統一したらどうか?スレからそらせると妄想しているのかw
自覚がないね。
【板まんだら事件・元民音職員】松本修明って何者?
687 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/06/08(日) 09:47:20.71 ID:ruZljEk+
わたしが愛読する「釈迦の読み方 増原良彦著 3章“こだわり”を捨てる方法−〈縁起〉P111〜112」を紹介したいと思います。
縁起(えんぎ)−沙婆世界の基本形態
(前文略)地球上の全人口は、約43億3千6百万人(1979年推計・現在は2013年 72億人)とされている。
だが、話を簡単にするために、地球上にA・B・C・D・E・Fの6人しかいないとする。
そうすると、各人はそれぞれ平均で、全体の6分の1の資源を享受できるわけだ。
ところで、6人のうちどの1人でもよい、仮にDがいなかったと仮定する。すると、各人の取り分は5分の1になる。
ということは、これを裏返しに言えば、Dが存在していることによって、各人の取り分は5分の1から6分の1に下がるわけだ。
Dの生存は、そういう意味を担(にな)っている。これはDにかぎったことではない。Aにしても、BC・D・E・Fにしても、すべての人間がみずからの生存によって、他人の取り分を下げているのである。
それがこの世のあり方なのだ。すなわち、A・B・C・D・E・Fの誰一人として、みずからの生存によって、割り算の分母を不変のままに保つことはできないのである。
したがって、われわれの生存そのものが、他人に大きな影響を及ぼしていることになる。われわれは他人に迷惑をかけており、しかも、それを赦されているのだ。
だから、われわれも他人を赦さなければならない。そういう結論が、当然に導き出されてくるのである。
さて、仏教では、このような沙婆世界のあり方の基本形態を“縁起”と呼んでいる。“縁起“とは、一切の事物・現象が「他」と関連をもってしか存在・生存できないことをいう。
つまり、「他」となんの関係も持たずに存在・生起するものなど、どこにもないということである。
(下略)
この本を読んで“縁起”の説こそが、普遍妥当的・客観的な真理(法)なんだとなぁと思ったことです。



南無一切常住佛 南無一切常住法 南無一切常住僧
南無妙法蓮華經
日蓮宗信徒 鈴木わと>犀角独歩


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