- 【板まんだら事件・元民音職員】松本修明って何者?
687 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/06/08(日) 09:47:20.71 ID:ruZljEk+ - わたしが愛読する「釈迦の読み方 増原良彦著 3章“こだわり”を捨てる方法−〈縁起〉P111〜112」を紹介したいと思います。
縁起(えんぎ)−沙婆世界の基本形態 (前文略)地球上の全人口は、約43億3千6百万人(1979年推計・現在は2013年 72億人)とされている。 だが、話を簡単にするために、地球上にA・B・C・D・E・Fの6人しかいないとする。 そうすると、各人はそれぞれ平均で、全体の6分の1の資源を享受できるわけだ。 ところで、6人のうちどの1人でもよい、仮にDがいなかったと仮定する。すると、各人の取り分は5分の1になる。 ということは、これを裏返しに言えば、Dが存在していることによって、各人の取り分は5分の1から6分の1に下がるわけだ。 Dの生存は、そういう意味を担(にな)っている。これはDにかぎったことではない。Aにしても、BC・D・E・Fにしても、すべての人間がみずからの生存によって、他人の取り分を下げているのである。 それがこの世のあり方なのだ。すなわち、A・B・C・D・E・Fの誰一人として、みずからの生存によって、割り算の分母を不変のままに保つことはできないのである。 したがって、われわれの生存そのものが、他人に大きな影響を及ぼしていることになる。われわれは他人に迷惑をかけており、しかも、それを赦されているのだ。 だから、われわれも他人を赦さなければならない。そういう結論が、当然に導き出されてくるのである。 さて、仏教では、このような沙婆世界のあり方の基本形態を“縁起”と呼んでいる。“縁起“とは、一切の事物・現象が「他」と関連をもってしか存在・生存できないことをいう。 つまり、「他」となんの関係も持たずに存在・生起するものなど、どこにもないということである。 (下略) この本を読んで“縁起”の説こそが、普遍妥当的・客観的な真理(法)なんだとなぁと思ったことです。 拝 南無一切常住佛 南無一切常住法 南無一切常住僧 南無妙法蓮華經 日蓮宗信徒 鈴木わと>犀角独歩
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