- 日蓮って ver.28
9 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/06/04(水) 02:00:32.27 ID:j/+KBEzH - >>5
@の私の質問に“知らん”であるならば、日蓮はこのように仰っているようだが、どう思いますかね。 『法華経は釈迦牟尼仏なり、法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り、此の経を信ず る者の前には滅後たりといえども仏の在世なり』 Aの質問に関して、“知らん”とは何かしらの迷いの表れですかな。 大聖人が立場からとは「法華経の行者」としての立場でしょう。法華経文上から寿量品の使者の立場を第一とし、振舞ったものではないですか。 一念三千の法門はまず、妙法蓮華経に帰依することから始めさせなければならないと日蓮は思っていたはずですよ。 あの法華経での釈迦は、この経に帰依できるものは限られた者達だけだと言っているようで、確認のため本文を読んでみましょう、 そして“常住説法”とは、どのようなことなのか法華経物語を読まなければ、「南無」とは言えないでしょうし、 その日蓮の立場を後の信者達が何を勘違し久遠元初の本仏などとしたのか?・・・と、プロの坊主らしくありませんと思いますw 日蓮遺文ばかり眺めて、法華経を二の次に考えるから辻褄のあわない解釈になるのです。 貴殿が素直に「知らん!」←とは当然です。乳の味をも知らなくても子は育つかもしれませんが、法華経は釈迦のオッパイみたいなものなのですよ。 大人になっても母の乳の味や形は覚えてはいないでしょうけど、一応栄養があるものには違いはありませんね。 そこで「末法の釈迦にはもう乳が出ない」なんて発想があるかもしれませんが、それは2000歳の若いピッチピッチの釈迦に失礼です。 そう君等は、まだ下種されていないから釈迦も乳をだせないでいるのですねw 日寛の乳・・・まぜるな危険! >>8 >日蓮が釈迦の師匠というのはおかしい 日蓮が上行菩薩というより今の解釈は、提婆達多に近いような、そんな気がするんのです。
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10 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/06/04(水) 02:02:22.60 ID:j/+KBEzH - 「六法全書にも文の底に秘し沈めらた法が有る。
“南無六法全書” この六字の題目を唱えれば全知識を得たに等しいのである。」って、俺アホかも? 「“南無新人間革命”この七文字の題目を・・・・と、全二十五巻を読んだ等しいのである。」やっぱり、このような発想はアホですかね。 しかしこの“人間革命”っていうのは良い言葉ですね。・・・頂いちゃおうかしらw 所破借文、所破所有ですけどね。・・・俺も日寛と同じになってしもおたわ!(涙
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17 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/06/04(水) 22:38:17.49 ID:j/+KBEzH - >>12
『其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩あって同時に涌出せり。 是の諸の菩薩は身皆金色にして、三十二相・無量の光明あり。』 これ、涌出品からなのですが、 必ずしも三十二相は仏の特権ではないみたいですね。 この説からしてみて、日蓮があの木絵二像開眼之事と照らし合わせて考えてみるのも面白いかも。 「法華を心得たる菩薩さえにも心法があれば三十二相を具える」と解釈ができますね。 >>16 特殊体質な皮膚呼吸の相が具わっているのかもしれませんね。
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