- 日蓮って ver.28
4 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/06/03(火) 21:43:39.99 ID:gfyiH1uN - 前スレ>>918
できるだけレスを短く簡潔にしようとして省略しているのに…もう少し前からの流れを踏まえてスレを読んでくれないかな? (人格攻撃をするつもりはないのだが、アスペルガー症候群的なものを感じる。) >三十二相⇔凡夫 釈尊が三十二相という特別な相を持っているVS大聖人はそのような特別な相を持たない。(凡夫=普通の人間) >法華経は正しくないのですか? 末法に成仏の法として役に立つか?という観点なら、正しくない。 >正法である法華経を人びとが顧みないから諸天善神が日本から去ってしまった。 それが、末法という世の中。 人々が顧みないということは、釈尊の仏法に縁がある衆生がいなくなってきたということ。 ある国土において、衆生が正法を捨てると、一念三千により環境(文字通りの環境だけではなく衆生を守る働き全般を指す)も乱れる。 これを言い換えるなら、正法をたもつ衆生がいないため、彼らを守る働きをする諸天善神も効力を発揮しない。 >でも法華経は釈尊の直口ではないですよね? 教判の最重要ポイントは、釈尊の直言かどうかではなく「正しいかどうか」。 (釈尊以外の仏が説く形をとっている経典もある。) 前スレ>>919 >法華経のどこにこの経典は無効になるなんて書いてありますか? ほんと、アスペルガーだな。 妙法蓮華経では、詳しい定義もなく像法末法という語彙を使っている。 ということは、少なくとも妙法蓮華経が編纂されたころは、釈迦仏法において像法末法というのは常識的知識だったのだろうと類推できん か? ということは、期間はともかく妙法蓮華経も例外じゃないということだ。 例えば、妙法蓮華経においても、威音王仏(法華経を説いた)の像法が登場する。 この威音王仏は、在世・正法・像法を2億回繰り返したとされるが、無限ではなく終わりがあるということは末法もあったということ。 (もっと理論的に詳しく説明は可能だが、ここではしない。)
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5 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/06/03(火) 21:44:30.38 ID:gfyiH1uN - >>前スレ920
>>方便品は所破借文、寿量品は所破所有。 >これは誰の解釈ですか? 法華経にそんなことが書いてありますか? 大聖人の仏法なのだから、妙法蓮華経に書いていなくても全く問題ない。 >十如是そのものが、サンスクリット語原典にないのですよ。不完全以前の問題です。 十如是をだれが入れたかが重要なのではなく、十如是が「正しい」かどうかが最重要。 十如是の内容をきっちり把握しているのかね。 前スレ>>921 >@釈迦は今、どこにいると思いですか?簡単な質問です。 知らん。 >「破折、破折、破折!」 釈尊が外道に対して内道(仏法)を説いたのは、破折そのものなのだが。 >Aそれは釈迦が沈める隠した“南無妙法蓮華経”でありますか?簡単な質問です。 知らん。 これに関しては、大聖人が自分の立場で妙法蓮華経を読まれ、その中に南無妙法蓮華経があるとおっしゃった。 これで十分。
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6 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/06/03(火) 21:49:03.07 ID:gfyiH1uN - >>3
そういう解釈をするのは、おそらくあなたを含めごく少数だろう。 もし、世の人間の大半があなたと同じ解釈をしていたなら、妙法蓮華経は尊い経典・名訳として現代まで残ることはなかっただろう。 だって、歴史上釈尊は入滅しているのだからな。
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