- 日蓮って ver.27
918 :大乗非仏説[sage]:2014/06/02(月) 19:39:27.60 ID:KWVZeuJ9 - >>915
>> いや、別に重々承知などしていないのですが? >長年アンチを続けているのに、良くそんなカキコをするものだな。 >三十二相⇔凡夫、これで充分だろ。 なぜこれで十分なんですか? 三十二相⇔凡夫ってよけいにわからないのですが? 三十二相は凡夫は備えているんですか? >> 日蓮上人は経典を全て釈尊の言葉だと思っていたのでしょう? >(再掲)金口かどうかと、それがすべて正しいと判断していたかどうかは、別の次元の話。 >例えば、法華経に関しては正しい事は少ない、ただ讃めることが多いと評している。 法華経は正しくないのですか? 私は日蓮上人の考えとして、正法である法華経を 人びとが顧みないから諸天善神が日本から去ってしまった。そのために、天災や戦 乱がおきると感じていらっしゃったと思っていましたが。 >> どうして方等時に分類されている経典によって、法華涅槃時の経典までが >> 「末法になれば効果がなくなる」のですか? >教判というものをもっと学ぶべきだな。 >教判とは、どの経典が釈尊の真意か?であり、その経典を根本として他の経典群をとらえなおす行為である。 そうですよ。どの経典が釈尊の真意かを考えるためでしょう。でもそれは、すべての経 典は釈尊の直口であるということが前提でしょう? でも法華経は釈尊の直口ではない ですよね?
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919 :大乗非仏説[sage]:2014/06/02(月) 19:40:01.67 ID:KWVZeuJ9 - (続き)
>他の経典の記述でも、根本から見て矛盾がなく正しい、また現実との矛盾も少ないとなれば、そのまま採用することになる。 矛盾だらけじゃないですか? 法華経のどこにこの経典は無効になるなんて書いて ありますか? 大集経は法華経成立後に成立したんですよ。 >(また、妙法蓮華経には像法・末法という語彙が登場するが、それ自体の詳しい説明はほとんどない。 >これは、編纂時に正像末という考え方が少なくとも大乗仏教では「常識」だったことを示す。 >つまり、仮に大集経が存在しないとしても、(期間の指定はさておき)末法には妙法蓮華経の効力はなくなるのである。) 正像末の考え方がでてきたのは法華経の成立後です。法華経の中にも正法・像法と末 法と並べて書いてある箇所はないですよ。もし貴方のおっしゃるように、正法の時代 には妙法蓮華経の効力があったということですか? 観音品も正しいのですか? > >なお、五時八教は、そのように解釈すれば教判の助けになるから採用しただけであり、教判の本質ではない。 教判って何ですか?「釈尊の真意は何か」ですよね。教判もいろいろありますよね。 竺道生の教判、慧観の五時教判、道綽の教判、真言宗の顕密二教、華厳宗の五教十宗、 いろいろあるんですよ。それで日蓮上人は天台大師智の唱えた五時八教を採用した んですよ。教判と五時八教は別々のものではなく「釈尊の本意」として五時八教を採 用したんですよ。 >良くアンチで金科玉条のように「五時八教は嘘っぱちだ」を振り回す人がいるが、教判の本質を全く理解していない愚か者といえよう。 で、五時八教は正しいのですか?間違っているのですか?
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920 :大乗非仏説[sage]:2014/06/02(月) 19:44:16.17 ID:KWVZeuJ9 - >>916
横レスです。 >方便品は所破借文、寿量品は所破所有。 これは誰の解釈ですか? 法華経にそんなことが書いてありますか? 所詮はサンダルマプンダリーカの勘違い解釈です。 >借文、所有は、文底の読み方である。 文底があるなんて法華経の本文の中に書いてありますか?所詮は 後付けの理由です。 >簡単に言うと、方便品の十如是(諸法実相)は不完全な理論であるうえ、ここには理論しかない。 >これは、寿量品で三世間が加わり完全なものになる。 十如是そのものが、サンスクリット語原典にないのですよ。不完全以前 の問題です。
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