- 日蓮って ver.27
788 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/05/11(日) 19:41:46.14 ID:Uh8PkJhD - >>787
別に坊主ではないし、日本の佛教を擁護する気もないのだが…… 1.経文は陀羅尼の類ではないのだから、 読誦する際に発音は問題ではない。 あくまで意味を理解しているかどうか。 2.釈尊はそもそも経典を残していないので、釈尊は経典を プラークリットや古典サンスクリットやパーリで読むとか読まないとか そういうことについてなんの見解も持っていなかったとしか言えない。 漢文について言えば、坊主は読んでいる漢文の意味は理解できている (のでなくては坊主として最低限の勉強もできていない)ので、漢文で読んでも 構わない。在家は意味を理解するところから始めないと無意味、 というのはその通り。逆に、この点では念佛や題目は意味が明瞭で優れている。 3.なにが言いたいのかよくわからん。日本語も変。 恐らく喩えが不適切で、お前さんのいいたいことを説明する役に立っていない。 誰かから答えが欲しければ、やり直し。
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204 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/05/11(日) 20:00:03.81 ID:Uh8PkJhD - >>203
利権なんて大層なもんじゃないだろw 長野の妙相寺から大阪に出張授戒されると、 妙輪寺のテリトリーなのに妙相寺所属になるんで 折伏ノルマの関係上、利害対立がある、というくだらん内輪の話にすぎん。
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847 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/05/11(日) 22:02:28.72 ID:Uh8PkJhD - >>846
それは教観相対の発想だが、天台智本人には教観相対の発想はない。 更に、それは正像末の機の問題ではないし、法体の問題でもない。 日蓮以前に、天台本人のテクストを読まないとわからんだろうな。
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- 学会の本尊はカラーコピーだった 23
848 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/05/11(日) 22:09:01.29 ID:Uh8PkJhD - ついでに言っておくと、摩訶止観は法華経の産物ではなく
むしろシャマタ(止)&ヴィパシャナ(観)の行を 大乗アビダルマ的に整理したものにほかならないので、 法華経にないのは当たり前(十如是に仮託はしているが)。 文底秘沈とかそういうアタマの悪い話ではなく、 修行論を欠く法華経の欠陥を天台が伝統的な佛教の修行論で補った、という筋のものだ。
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- 学会の本尊はカラーコピーだった 23
850 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/05/11(日) 22:18:20.69 ID:Uh8PkJhD - >>849
まあ、日蓮の観点からはそうなるだろうな。 >>846は天台自身の事情と日蓮の天台・伝教に対する解釈を 折り合わせなければならず、実にお気の毒なことである。
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- 日蓮って ver.27
790 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/05/11(日) 23:40:25.77 ID:Uh8PkJhD - >>789
>お経も釈尊の場での出来事や説法をまとめたものでは? >それであれば、その内容であったり、説法を正しく伝えることがいいのでは?と思っただけだよ >なのに、説法の内容すら知らず、そのお経を唱えれば、そのお題目を唱えれば、内容も出来事も何も知らずとも良いとしている点でどうかと >釈尊が何故目覚めてから多くの時間を費やしてまで、種々の経文にあるような説法をしたか? >お題目や念仏を意味も知らず読み、唱えるだけでご利益や成仏に至るのであれば、釈尊は説法に時間などかけず「これだけ唱えていれば良い」と、題目や念仏だけ話すことでこと足りるはず >正法、像法、末法とはこのことではないのかと思ったからだけど まあ、わりと正当な疑問だな。 念佛については、当の経典内に「阿弥陀佛の名前を称えればOK」という記述がある、というのが根拠。 題目にはそういう根拠はないのでこの点ではかなり微妙なところだ。 >ましてや釈尊の話していた時の、発音や意味ともまるで違うもので 普通の日本人が知ってる大乗経典は歴史上の釈尊とは関係ない文芸作品だ。 釈尊が経典を遺していない以上、南伝のパーリ佛典も「直説」とは言いがたいが、 あくまでも歴史上の釈尊を伝えようとはしている南伝上座部の経典と、 端から創作文芸の北伝大乗の経典との違いは否定出来ない。 大乗佛典については、釈尊が用いていた東部プラークリットがどうだという以前の問題になる。 > 意味も正しい言葉も理解していない、お経に何の功徳があり、それを読んだり読んでもらって有り難がることに何の意味があるのか? その通り。何の意味もない。ただ、大乗佛典の中には、それを写経したり読誦したりすると功徳がある、 と主張するものが多いので、バカげていると思うだろうが、一応はそれらの経典の要求通りではあるのだよ。
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