- 学会の本尊はカラーコピーだった 23
835 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/05/10(土) 16:58:00.63 ID:umoBVvK5 - >>821
天台は、釈尊の化導の仕方について、種・熟・脱があるとした。 下種(種)をしてそれを調熟(熟)し、最終的に解脱(脱)させる。 インドの釈尊は、五百塵点劫に下種をした衆生を解脱させるために法を説いたとされる。 そして、釈尊の下種を受けていない末法の衆生は、釈尊でも釈尊に縁が深い迹化の菩薩でもなく、地涌の菩薩が救うのだと宣言している。 末法には釈尊所持の法の効力はなくなるとされるから(だから末法)、彼ら地涌の菩薩の所持する法は、少なくとも釈尊所持の法ではない。 また、地涌の菩薩と末法の衆生とは深い縁があることになるし、末法の衆生は地涌の菩薩がら下種されることになる。 ここで、脱益=妙法蓮華経=釈尊=迹化の菩薩=正法・像法 下種益=妙法蓮華経とは違う法=(とりあえず空欄)=地涌の菩薩=末法、が成立する。 種脱相対を否定する者は、法華経をまともに読んでいないということになる。 それとも何か、天台より合理的な解釈があるとでも?
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