トップページ > 創価・公明 > 2014年04月29日 > OlblHyjM

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名無しさん@お腹いっぱい。
    学会の本尊はカラーコピーだった   23

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    学会の本尊はカラーコピーだった   23
691 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/29(火) 09:20:42.52 ID:OlblHyjM
>>680

わざわざ親鸞本人の遺文を挙げてるところに
「その後の丸くなった浄土宗」とか言われましてもねw
資料が手元にないので引用せんが、証空にも同様の主張がある。
浄土系の教学についてお前さんがなーんにも知らないだけ。

そもそも弾圧されたのは「既存のものを全否定した」からではなく
「既存のものを全否定していると(部外者から)思われた」からだ。
この両者はぜんぜん違う。日蓮系と一緒だと思うから間違うのだ。

あと、教義の話と実際の門徒の行動を混同しないようになw
門徒の暴走に苦慮する教団てのは最初期から真宗史に於ける平常運転だ。
その点は日蓮系はどっちかというと暴走の尻馬にのる感じだけどな。
    学会の本尊はカラーコピーだった   23
693 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/29(火) 16:09:32.07 ID:OlblHyjM
>>692
>そもそも法然すら浄土教を日本化しちゃってるんじゃないの?

じゃあ「浄土宗」は既に日本化されてるわけだw
なおさら「丸くなったのは後の浄土宗」じゃないだろw

そもそも門徒の暴走と他宗からの批難に対応して
わざわざ他宗排撃の宗旨はないと源空本人が宣明してるんだが。

> 日蓮と対比するのに法然じゃなくて親鸞を挙げているのも
> 時系列的におかしいだろ

おいおい。日蓮と親鸞の生年と活動年代知ってるか?
そこまであれだとほんとに真宗なのか疑わしいぞ。

> 浄土宗と浄土真宗なんて似て非なるものだろ?
> 親鸞なんか法然と言ってること全然違うじゃんか

それもお前さんが浄土教学を知らんからだ。そもそも親鸞と証空は激似。
法然の後年、帰京前後の教義理解を継承した証空の西山義は本願寺教学の基礎。
逆に言うと、本願寺が教学を密輸入できるくらい似てたわけ。
浄土宗っていうので多念義系しか思い浮かばないからそういう皮相な理解になる。
    学会の本尊はカラーコピーだった   23
697 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/29(火) 20:24:00.48 ID:OlblHyjM
>>695
>浄土教は捨閉閣抛が基本だろ?

違う。龍樹以来、聖道門佛教の修行者が併習するのが常。
天台が臨終時に念佛して死んだの知ってるか?日蓮についても天台に倣って臨終時に念佛したという伝承が(身延に)ある。
しかも源空以降についても「捨閉閣抛」などというのは日蓮の勝手な誤解に過ぎない。
聖道門を難行道ゆえに尊い(が私には無理)とするのが浄土系の祖師や弟子たちの理解なのでな。

>あなたの言う浄土教の基本は日本におけるものか支那でもそうなのかどうか

支那佛教でもそうだ。善導は観想念仏ではなく称名念仏を称揚したが、
浄土門に於ける「称名念仏」への専心を主張したのであって、聖道門を捨てよといったことはない。

>具体的にはこれは法然も同様の主張をしているか?

典拠は「七箇条制誡」で十分だと思うが、それ以上が必要であれば源空はそもそも著作が
殆どないので弟子第一世代の著作から上代の教義を伺うしかない。
証空(いま資料が手元にないので信じてもらうしかない)と親鸞(これは遺文を挙げた)は
「神祇不拝」の類の明示的に教義を否定している。

>支那ではどうであったか?神道のある日本特有であるか?

道教との絡みは難しい。支那でも一部には習合的な発想がある。だが、どちらかというと支那佛教全体が道教を外道として排除し
純粋化を目指そうとする傾向にあったので、浄土教云々以前に支那佛教自体が基本的に道教にあまり融和的でない。

最後の引用部分は何が言いたいのか? 神祇は念佛者を守護しているのだから捨てようなどとは決して思ってはいけない、という文なのだが?
本地垂迹で日本の神は諸菩薩や諸天善神の応身として理解されているので、
必要なのは、まさに諸菩薩・諸天善神が念佛者を守る、ということだけだ(後は浄土三部経でも読んでくれ)。
    学会の本尊はカラーコピーだった   23
705 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/29(火) 22:54:50.56 ID:OlblHyjM
>>703
>念仏宗の天神地祇の否定は興福寺奏状などにあるけど

興福寺奏状に対する浄土側の反応が「七箇条制誡」だ。
もちろん源空のみならず、親鸞(綽空)もこれに署名してる。

「それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、
 しばらく聖道門を閣きて選びて浄土門に入るべし。」

「すみやかに生死を離れんと欲はば」という限定がついてるのが大変に重要。
「すみやか」でない道を行きたければこの娑婆世界で聖道門を選ぶべきであって、
娑婆世界での聖道門は浄土門を経由する菩薩道より尊いとされる(これは悲華経が論拠)。
だが源空や親鸞は自分の分際ではそれは困難だ、と考えるので易行道を行こうとする。
難行道を行こうとする菩薩道修行者をその点で褒め称えこそすれ謗ることはありえない。
浄土往生後にそこで菩薩道修行(これは聖道門)をするわけだから(そのための浄土往生だ)、
浄土教が聖道門を捨てるということはありえない。だがそれは浄土往生の後までお預けなので、
聖道門を「しばらく」「閣きて」ということになるわけ。

こんなん浄土宗でも浄土真宗でも基本中の基本なんだけど日蓮は理解してない。


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