- 学会の本尊はカラーコピーだった 23
241 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 02:43:10.41 ID:dHrsPSvn - カルト金魚のフン覚心さんは順調に脳病悪化中ですなあ。
ホル入れたから演技性人格障害の風味まで出てきたのか?
|
- 学会の本尊はカラーコピーだった 23
247 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 09:11:54.70 ID:dHrsPSvn - >>245
聖教新聞は新聞読んだことにならないけどな。
|
- 日蓮って ver.27
407 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 10:19:00.31 ID:dHrsPSvn - 『正法華経』だと
「我滅度後後五百歳中。廣宣流布於閻浮提。」 の部分は 「最後末俗五濁之世。流布天下閻浮利内。」 になってるな。梵文が500年でなく50年なのもそうだが 漢訳もこの訳だと日蓮の壮大な末法妄想が成り立たない。
|
- 日蓮って ver.27
408 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 10:19:52.05 ID:dHrsPSvn - >>406
>その小さな木の船を後の弟子たちが改良し、より大きな鉄の船を拵えたと考えれば、目くじらを立てる必要もないと思うよ。 問題はそれが鉄の船じゃなくて泥舟だってことなんだよねえ。特に日蓮。
|
- 日蓮って ver.27
415 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 12:49:26.88 ID:dHrsPSvn - >>410
おお、そうか確かに他の箇所にもこの表現ありますものね。 そっちにはきちんと50年と書いてあるのか。 あと、この箇所は樂普賢品第二十六(妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品 第二十八)ですね。 同表現が何回か繰り返されています。ご指摘の箇所の対照は: 正法華経 若於最後餘殘末俗五濁之世。餘五十歳中。 比丘比丘尼清信士清信女。受是經典宣示同學。持書慕求爲他人説。 最後末俗餘五十歳。若能受是正法華經。心存解義精進不廢。 致二十一日諸行稍備。已致諸行。二十一日勤心存於法。 自現可敬巍巍之徳。乘六通馳。 妙法蓮華経 若後世後五百歳。濁惡世中。比丘。比丘尼。 優婆塞。優婆夷。求索者。受持者。讀誦者。書寫者。 欲修習是法華經。於三七日中。應一心精進。 滿三七日已。我當乘六牙白象。 妙法蓮華経の方が梵文原典が簡素だったのか、 それとも鳩摩羅什がばっさり省いたのか。
|
- 日蓮って ver.27
416 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 12:58:48.57 ID:dHrsPSvn - こうやってみると、やっぱり鳩摩羅什訳の方が流麗な漢文ですねえ。
というか、そのために色々と原文にない文飾を加えたり 或いは削ったり、というのがこの箇所からでも見て取れますね。 日蓮は正法華経も目を通してるはずなのに(たとえば法華経題目抄) こういう齟齬をどう会通したんでしょうかねえ。
|
- 学会の本尊はカラーコピーだった 23
257 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 14:00:43.22 ID:dHrsPSvn - >>255
日蓮宗に限らないが、少し古い寺にはこの手のものがたいていある。 で、普通は「〜だと伝えられています」という風に説明する。 「〜だと伝えられている」ということそれ自体は事実なので、 これなら法螺吹きにはならない。
|
- 日蓮って ver.27
420 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 19:12:45.08 ID:dHrsPSvn - >>418
>「パクり」というよりは、形式や伝統の共有じゃないんだろうか? まずは天台の法華懺法&例時作法、朝法華&夕念佛がネタ元で、 法然が後者を観想から称名へと特化・易行化したのを受けて、 前者に同様の特化・易行化を推進したのが日蓮の唱題行だろ。 「廣宣流布」しようと思えばそりゃ既に教宣で先行していた浄土系を 真似なきゃ話にならん。それでも勤行は法華経読誦するから易行が 徹底されたとはいえないけど。 この点については真似・後追いではあるが、「パクリ」と言って 貶められるべきようなものだとも思わない。 なお、漫荼羅はパクリというか、日蓮が最後まで密教の人だった、というだけ。 そもそもが密教僧(それも新義真言ベース)なんだから、絵師ではなく仏画の書けない 日蓮が文字によって新奇な霊鷲山漫荼羅を図顕したところで、それをパクリとは言わない。
|
- 日蓮って ver.27
423 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 19:23:30.54 ID:dHrsPSvn - >>421
正法華経を書き下した日本語書籍は恐らくないと思う。 佛教用語が旧訳・新訳以前の翻訳語なのできちんとした辞典がないと読むのはかなり困難。 正法華経を敢えて読むくらいなら大人しく岩波の梵漢和対照翻訳の梵文を読むのがいい。
|
- 日蓮って ver.27
426 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 20:15:48.48 ID:dHrsPSvn - >>424
>>>423さん >梵漢和対照翻訳をお持ちでありますか? 実家に置いてきてしまいました……もう一組買うには結構高いのですよね。
|
- 日蓮って ver.27
427 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 20:26:36.34 ID:dHrsPSvn - >>415
>若於最後餘殘末俗五濁之世。餘五十歳中。 >比丘比丘尼清信士清信女。受是經典宣示同學。持書慕求爲他人説。 >最後末俗餘五十歳。若能受是正法華經。心存解義精進不廢。 >致二十一日諸行稍備。已致諸行。二十一日勤心存於法。 >自現可敬巍巍之徳。乘六通馳。 若し、末法俗悪五濁の世の最後に餘残せる、残された五十年の中で 男女の出家者、男女の在家者が、この経典を受け、宣示し、同学し、 書き写して他人のために説こうとするならば、 最後の、末法俗悪五濁の世の残された五十年の間、もし良く この正法華経を受け、義を解し精進を怠らないことに務めるならば、 二十一日間に到るまでこれらの行いをつとめなさい。これらの行いを既に致し 二十一日、勤めて法に専心しなさい。自ずから敬うべき光り輝くような 徳が現れるはずです。(そのとき私は六本の牙の動物に乗って〜) こんな感じでしょうか。
|
- 日蓮って ver.27
429 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 20:33:36.98 ID:dHrsPSvn - >>428
>他に以下の書籍が有るのですが、漢訳正法華経ではなく現代人の学説に基づいた >混ぜたサンスクリット翻訳ならあるみたいですね。資料としてはどうなんでしょうね。 私が意図していたのはこの植木訳です。語源研究の成果などもあり、 写本の対照もできるので、ことサンスクリット語のテクストに関しては 現代人の方がかつての翻訳僧たちよりも言語的にはよく理解できているといって差し支えありません。
|
- 日蓮って ver.27
433 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 22:18:22.33 ID:dHrsPSvn - >>432
>素人的にも、ひたすら内向的な「観想念仏」よりも、五感を駆使した「称名念仏」の方が、より合理的に思えるな。 称名念仏が「五感」を駆使するってのはどういう趣旨? 観想念仏こそ、極楽浄土の様を色形匂とありありと観想しなければならないのでそうなのだが。 > 「称名念仏」はすでに中国の善導が提唱していて、法然がそれを独自に改変したらしい。 称名念仏自体は経典に依るし、法然の独創ではないが、徹底した易行化は法然に帰される。 いずれにせよ、日蓮の模倣は法然に対するもの(関東出身の日蓮に親鸞が目の敵にされてないのは面白い)。 > 日蓮が密教徒なんて、真言宗の人が聞いたら怒らないかな? だってそもそも清澄寺の是聖坊蓮長だもの。覚鑁の五字秘釈の写本もあるし普通に新義真言の密教僧。 文字曼荼羅の諸尊の配置だって覚鑁の方位配置にしたがって立像を平面に投影して決められてる。 それに、たとえば大石寺の相承の時にだって密教の仏画師が絵曼荼羅を制作するときと同様に 陀羅尼(namah saddharma pundarika sutra)を唱えながら文字曼荼羅を書写するのだよ。
|
- 日蓮って ver.27
434 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 22:21:27.43 ID:dHrsPSvn - 『五輪九字秘釈』と書こうとして『五字秘釈』なる謎の合成後になってしまったw
|
- 日蓮って ver.27
436 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/04/06(日) 23:53:55.69 ID:dHrsPSvn - >>435
まあ創作にあたってのその辺の雑さというか緩さが実にインドっぽいですけどねw
|