トップページ > 創価・公明 > 2014年03月29日 > 1VHmMKEh

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名無しさん@お腹いっぱい。
日蓮って ver.27

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日蓮って ver.27
280 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/03/29(土) 08:29:28.45 ID:1VHmMKEh
また安国論年表貼っとくけど、
一週間待っても、ダレも突っ込まないのは、
ホントにこれで合ってるってことでイイのね ? ? ?


1260年7月 立正安国論を幕府に提出
1261・・・
62・・・
63・・・
64・・・八年間、安国論についての記述がない
65・・・
66・・・
67・・・
1268年 安国論の記述のある十七通の御書がとつぜん現れる。
1269年 安国論の写本が中山の武士に贈呈される(国宝指定)、
・・・ これ以降、安国論の記述が現れるようになる・・・
日蓮って ver.27
281 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/03/29(土) 08:38:13.26 ID:1VHmMKEh
>>280
コピペも貼っとくわ。

正中山の本は、大聖人が富木殿書に書かれている原本ではなく
『八木式部太夫胤家』が大聖人に願って書写して頂いた大聖人の転本である。
が、中山の富木殿のもとには、大聖人が北条時頼に献上した本の控えが
所蔵されていたもので、真筆のある富木殿御返事に

『立正安国論の正本土木殿に候、かきて給候はんときとのか又』

とあるので、鎌倉幕府に献上した本のもととなった本は紛れもなく
中山に存していたものであるが、紛失の由来は知らない(←●ここ注目)。
「国」 「國」 ・・
http://w01.tp1.jp/~a151497261/annkokuronntokusyuu-mosya.htm


※文応元年の原本が存在してなくて、その紛失の由来もわからない。
でも「真筆」にそんな風なことが、書いてあるよーな気がするから、
きっと原本もあったに違いない。
いや、わたしは (日蓮教団は) 絶対にそうだと確信している・・。

文応元年に存在したはずの、証拠の原本がないのに、
日本史教科書の中には、自分の命もかえりみず幕府に意見したという
嘘八百のキラキラ話が書いてあるフシギさだよなー。
日蓮って ver.27
283 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/03/29(土) 08:59:47.16 ID:1VHmMKEh
>>204
薬王品得意抄は、観心本尊得意抄の安国論の話題とは関係ないな。
経典のこま切れをダラダラ書き写し続けてるだけの内容。。、

それと真偽鑑定は、文章の語り口みたいな内容をまったく無視して、
アヤしげな筆跡鑑定のみに執着して権威ぶってる感じするね。

で、この観心・・は、天台の法華一乗の意味を、
法華経が最高経典である。
とする日蓮教のヘンな解釈のためのリクツも書いてあって
あれこれ興味を引くネタの多い御書なんよ。

「唯一乗の法のみ有て二も無く亦三も無し」

という、ひじょーに的を得た、法華一乗の解説を引用してるんだけど、
この一乗の法を法華経が一番として、巧妙にすり替えてんのね。

法華経の大網は、法華玄義の「法華総括衆経」の改ざんだし。。。

>>205
鎌倉当時の日蓮教団は、まだ弱小で少数のグループでしかないから、
ちまたのインチキ臭い新興宗教という目でみられて、
じっさいは、あまり流行ってなかったみたいよ。

ところが、現代は日本史教科書にりっぱな坊さんと書いてあって、
みんな中高生のときにすでに刷り込み済みだから、
日本人は全員が日蓮さんはエラい人、と洗脳された状態なのよ。

だから日蓮さまっておバカ丸出しだけど、意外とバレない・・。
日蓮って ver.27
284 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/03/29(土) 09:17:15.84 ID:1VHmMKEh
ついでに、法華経の大網の元ねたと思われる
玄義の一節「法華総括衆経」は、

法華経がすべての経典を統合する上位構造のポジションにある。

と解釈すれば、日蓮さんの法華経の大網という説明で合ってるんだけど、
でも天台大師は「法華」と「法華經」の二つの記述を使い分けてて、

A. 法華 → 仏と呼ばれるナゾの抽象概念。

B. 法華經 → 文字経典としての法華経。

仏の別名である法華Saddharma Pundarika (真理の白い花)
をパクッて自分のタイトル名とした経典が法華経でしょ
だから天台大師は、この法華と法華経の二つを分けて説明してる。

仏と呼ばれるナゾの概念が、すべての経典の元にある。
と A の意味で解釈すれば、天台大師は当たり前のことしか言ってなくて、

B の法華の二文字を→法華經のこととして意味をすり替えれば、
法華総括衆経は、法華経がすべての経典を支配する上位構造である。
という日蓮教団のへんな解釈の元ねたであるのがわかる。

法華一乗や五時八教も、法華経最高説に改ざんしてるみたいだけど、
法華経が他の経典を支配してる、とかどんな構造なのよ?

天台の名声を利用した法華の文字すり替えサギで、
法華と法華経の区別のあいまいさに目を付けたんだろうね。


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