- 日蓮って ver.26
742 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/04(火) 01:08:12.60 ID:NKlTeUGq - >>739-740 さん
ええ。ですから私は、あなたが御本仏と仰ぐ日蓮の言を以って、仏語にあるまじき矛盾を明らかにしているでしょう。 瑣末な解釈の差などではありませんよ。繰り返しますが、まだ私は本題に入ってすらいません。次レスで述べますけどね。 いいですか。いたって簡単なことです。"ひかりもの"に限らず、このような問題のすべては以下の2点に集約されます。 ・一連の記述から生じる矛盾が本当に日蓮のものなら、日蓮は大妄語の人 ・日蓮が上首上行、あるいは本仏なら尚更、一連の矛盾した記述は日蓮のものではない 私は「後者ではないか?」と言っているのです。ここでは日蓮も本物論も否定していないのはお分かりでしょうか。 「念仏禅真言を排し法華経を用いずんば国滅びぬ」は、ものの見事に外れました。でもそれはあえて外しているのです。 「根拠無し言論は煙の如し」(聖教新聞)。あなた自身も執拗に要求したことです。反論には根拠を添えて下さい。
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743 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/04(火) 01:09:27.90 ID:NKlTeUGq - さて、本題に入るにあたり、まずは>>729に挙げた「四条金吾殿御消息」(真蹟無)の該当部をご紹介しておきます。
> 三光天子の中に月天子は光物とあらはれ竜口の頚をたすけ 明星天子は四五日已前に下りて日蓮に見参し給ふ > いま日天子ばかりのこり給ふ 定めて守護あるべきかとたのもしたのもし 法師品に云はく (以下略 大意は上で述べた通りですが、「四五日已前」とは依智・本間邸の庭で再度"ひかりもの"が出現した時のことを指します。 龍ノ口では「月天子」、依智では「明星天子」。これをふまえて、「種種御振舞御書」の以下の記述をご覧下さい。 9月13日の夜の月を、法華経宝塔品で仏勅を受け、嘱累品で法華行者守護を誓った「(明)月天子」であると述べ、 > いそぎ悦びをなして法華経の行者にもかはり 仏勅をもはたして 誓言のしるしをばとげさせ給ふべし そして、「いかに月天 いかに月天」と追い打ちかけて、鶴岡宮での八幡諌暁と同様、天に向かって責め立てるわけです。 (つづく)
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744 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/04(火) 01:10:43.77 ID:NKlTeUGq - (>>743のつづき)
つまり、"ひかりもの"を記載する各書から、日蓮の言動と認識を時系列で整理すると以下のようになります。 (1) 鶴岡八幡宮にて八幡大菩薩を責める (2) 龍ノ口で(八幡大菩薩ではなく)明月天子が出現する (3) 依智で(なぜか既に現れたはずの)明月天子を責める (4) 今後は明月天子でなく明星天子が出現 (5) 「これで残るは日天子だから、今後必ずや出現して私を守護するに違いない。頼もしいことだ」と述べる。 (6) しかし、以後そのような記述は見られず、佐渡でも身延でも度々、「まじヤバイ」「餓死する」などと述べる。 このように、ひとつの書だけでは辻褄が合うようでも、全体から体系的に見ると支離滅裂な流れだと分かります。 しかも、(1)〜(4)は同一であるはずの「種種御振舞御書」の中だけで既に意味不明な矛盾を起こしています。 より信頼できる各書では>>696の通り。これが、"ひかりもの"が後世の脚色ではないかと疑問視する理由です。
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