- 創価学会・初心者質問スレ part66
737 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/03/03(月) 12:22:31.57 ID:jhlXaRNh - >>731
君の>>652がそもそもおかしいからなんだよ。 観念論は表象が現実を構成する、ないし現実そのものだと主張するが、 我々の表象が我々の意のままになるとはまったく言わないし、 万人が催眠にかかって「目の前に10万円がある」と思い、 それに従って行為するなら、それを「催眠に過ぎない」と批判する ことのできる外部(すなわち表象外の世界)は存在しない。 それを催眠だというのもまた、別の主体の表象に過ぎない。 あと、君の日本語がわからんのだが、 >> 観念論そのものではないか。 >> これがどうして唯物論の誤りになるんだよ。 っていうのはなんなんだね。もしその例が君の言う「観念論」を例証するなら その「観念論」と相容れないものとしての君の言う「唯物論」が 誤りになるのは当然だと思うのだが。 > これは実践によって知覚内容としての認識の正しさが確認可能という趣旨で、 > 唯物論が観念論や形而上学を批判する際に論拠とされる。 経験論と唯物論を混同し続けてるね。知覚経験によっては外界の認識は 確認できないので、経験によって正しさが確認される認識(すなわち我々の知識)は 我々の表象についての知識のみであり、それゆえ我々が存在すると知っている 世界は外界などではなく表象そのものだ、というのが観念論の理路だ。 バークリの観念論が経験論の論理的帰結だったことぐらい理解してくれ…… 唯物論が経験を超えた(古典的な意味での)形而上学だってことは カント読んでればわかるでしょ(だからこそそうした超越的な形而上学としての 唯物論を排斥するカントの立場は観念論なわけでな)。 ここまで哲学の基本を知らん子には付き合いきれん。
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