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山椒島 ◆AUtVVr2znk
日蓮って ver.26

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日蓮って ver.26
692 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/02(日) 01:44:22.83 ID:jkZ45BN/
>>691 さん (1/2)
小異はありますが、各派の認識は>>689にも書いた通り、日蓮自身の(より確実な)記述に拠ります。

> 外には遠流と聞こへしかども 内には頚を切ると定まりぬ   「下山御消息」(真蹟) 他複数

この中の"内"を私的に解釈して、「"幕府全体"が内密に斬首しようとしたのだ」などと言う向きもありますが、

 ・鎌倉より依智へ「上の御使ひ」が止めに入っていること。また佐渡へ「御赦免状」が届いていること。
 ・依智から佐渡、佐渡島内、佐渡から鎌倉と、いずれも国府その他の公的な警護がついていること。

などから、そのような解釈は成り立たず、平頼綱らによる私刑だったのではと考えられる、というわけです。
であれば、頼綱与党ながら執権連署でもあった北条宣時が、当日湯治に出たことも辻褄が合います(後述)。
>>691で書かれている「斬首の場所」についても、長くなりましたので次レスで私見を書いてみますね。

どうぞあまりハードルを上げず、気楽かつ参考程度に読み流して下さい(笑
日蓮って ver.26
693 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/02(日) 01:45:42.87 ID:jkZ45BN/
>>691 さん (2/2)
上記のレスとも関連があるのですが、龍ノ口を事実として観た場合、その主導者は平頼綱だったのだろうと思います。
日蓮を連行した兵達は、宣時の代官である本間重連邸(依智)への道を知る者がほとんどいなかった(種種書)ことから、
身柄預かり人の宣時でなく、頼綱配下だったのでしょう。松葉ヶ谷の草庵に赴いて日蓮を捕縛した兵達も同様でしたし。

一方で、前レスの通り宣時(と代官重連)は、龍ノ口直後から赦免後まで一貫して「遠流」の方針に従って動いています。
宣時もおそらくは頼綱による日蓮の斬首に同意だったのでしょうけれど、立場上、表立って与力するわけにもいかなかった。
だから湯治に出かけた(見て見ぬふりと万一の責任逃れ)。幕府重職と御内人との立ち位置の差もあるかもしれませんね。

以上のことから、頼綱が日蓮を斬るには、必然的に鎌倉から依智までの道中に限られる、ということになるかと思います。
このことを謀反と取られるリスクですが、評定でも「日蓮斬るべし」と主張した(頼綱らと同心の)勢力をどう観るかでしょうか。
この評定では、"反日蓮"(聖人御難事)のはずの安達泰盛が日蓮側に付いた形跡もあって、かなり複雑に揉めたようです。

私には事実かどうか断言は出来ませんが、多くの書中で繰り返し言及しているように、日蓮の性格からは「是れ大難也」と
またぞろ吹聴して回ったことでしょうから、これで嘘なら、それこそ身延からも引きずり出されていたのでは?とは思います(笑
日蓮って ver.26
696 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/02(日) 07:15:18.17 ID:jkZ45BN/
.
うーん・・・話の腰を折るようで皆さんに叱られるかもしれませんが、私は「ひかりもの」は後世の脚色だろうと思います。
これについては古来より様々に推測されてきました。ですが、"より確実性の高い"日蓮の記述によると以下の通りです。

> 忽ちに頸を刎ねらるべきにてありけるが 子細ありけるかの故にしばらくのびて 「一谷入道御書」(真蹟)
> たつの口にて切らるべかりしが いかにしてやありけん 其の夜はのびて依智というところへつきぬ 「報恩抄」(真蹟)

「何か事情があったかのようでしばらく延びた」(上)、「どうしたことであろうか、何があっただろうのか」(下)です。
適当訳ですが大意は合っていると思います。これによるなら、日蓮自身も刑が中止になった理由はよく分かっていません。
不可思議な"ひかりもの"であろうと、稲妻・彗星・不知火(人魂)だろうと、もし何かあったのなら、こうは書かないと思います。

逆に"ひかりもの"を記す書は「種種書」の他「四条金吾殿御消息」や「妙法比丘尼御返事」などがありますが、いずれも
真蹟を残しません。「種種書」は真蹟曾存とされてはいますが、その編纂・統合過程に日蓮系でも疑義がある書です。

以上、ざっと要点のみ挙げましたが、内容が相反する場合においては、どちらを採るべきかは自明の理であろうと思います。
日蓮って ver.26
703 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/02(日) 09:17:10.68 ID:jkZ45BN/
>>697 ・ 702 さん
私は日蓮もあなたの信仰も否定などしていませんよ。事実はどうか、日蓮の本意は何かに関心があるだけです。
今になっての断定・確定は不可能でしょうから、より信憑性がある資料を積み上げて判断するしか無いと考えています。

さて、日蓮は"ひかりもの"について「あえて触れずにいる」とのことですが、それでは>>696末で挙げた三書の記述に反しますね。
いずれの書も創価学会や日蓮正宗の御書に収録されていると思いますが、そのあからさまな矛盾はどのように説明されますか?

勘違いしないでいただきたいのは、私は別に龍ノ口の"ひかりもの"があろうと無かろうと構わないということです。
ただ、「日蓮って」と考えるにあたっては、原本を残さない後世の"自称"写本よりは、ほぼ間違いないであろう"直筆"を優先します。

個人の内心において「あった」と信じるのは自由です。それを契機として信仰にいそしむのも結構なことだろうと思います。
己が信じるに足るのであれば、特にそれ以上の根拠は必要無いでしょう。が、公(外部)の場で議論するのであれば話は別です。
より多くの人が「なるほど」と思えるだけの道理と、より客観性・正確性の高い資料なりの根拠が必要であろうと思います。

日蓮が弟子一門に何度も繰り返し説き聞かせたのも、「立正安国論」他で度々主張したのも同じことではないでしょうか。
日蓮って ver.26
706 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/02(日) 09:38:22.32 ID:jkZ45BN/
>>701 606 さん
書かれている内容の他にも、たとえば日蓮の龍ノ口で処刑されそうになった三位房はともかくとしても、熊王に四条頼基に
その兄弟3人と、少なくとも遠流になるような罪人の連行しては意外な数の随行員が結果的に許されているんですね。

また、鶴岡八幡宮で八幡諫暁が出来たというのも、その辺りが下馬所であった可能性を差し引いても少し変な話ですし、
依智滞在中も頼基や富木常忍らと書簡の往復があり、金銭の融通もでき、兵士に酒も振る舞い、佐渡に着いてからも
弟子信徒の往来や金銭その他の差し入れ自由、数多くの論述も可と、佐渡流罪自体がかなり"ゆるい"面があります。

確かに日蓮が書き残したような過酷な面もあったでしょうけれど、「生きて帰る者一人もおらず」はかなり大袈裟ですしね。
その辺も踏まえて、現在に残された"より確実な"資料から分かる範囲で素人なりに少しでも実情に近づけたらと思います。

余談ですが、>>606で紹介されている戸田氏の解釈は、これも古来日蓮系で広く言われてきた「伝承」のひとつですが、
その出典はおそらく、(日蓮没後すぐから疑義が出されたほど)偽書として名高い「法華本門宗要抄」だろうと思います。

残した文書の多さも相まって、日蓮系は特にこういった議論以前の問題が多すぎるんですよね。
日蓮って ver.26
707 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/02(日) 10:01:14.55 ID:jkZ45BN/
>>705 さん
そうですね。私のレスも「これが真実だ!」などと言うつもりは毛頭ありません。議論・検討お待ちしています。
ただ私は、本当に日蓮のものかどうか怪しい or 疑わしい書を根拠に議論を重ねても、意味は無いと思います。

>>696にも少し書きましたが、「種種御振舞御書」は真蹟曾存(今は失われたが昔は直筆本があった)とされる書です。
多くの日蓮系信徒は、「なら記述内容も大聖人の言で間違い無いだろう」という認識で受け取っているものと思います。

しかしながら、これはもともと別々の四つあった書が江戸期に誤って統合されたもので、内容も不自然な点が多い書です。
ですから日蓮系内部においても、疑義のある書が含まれているか、少なくとも後世の加筆があるだろうとされています。
"ひかりもの"もそのひとつで、現在真蹟とされる書には登場しません。書かれるのはすべて原本の無い"写本"です。

これも私見ではありますが、こういう話は本来なら信徒である人達がもっとも厳格であるべきではないかと思います。
「日蓮大聖人」でなく、どこの誰が書いたのか分からないものを「御書」として読み、深く信じているリスクがあるわけですから。

話が横道に逸れてすみません。引き続きよろしくお願いします。
日蓮って ver.26
713 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/02(日) 10:21:20.27 ID:jkZ45BN/
>>708 さん
あぁ、なるほど。それは私にとっては完全に盲点でした。面白い視点ですね。

実はある日蓮宗の僧侶によれば、「連行した兵達は宣時配下であろう」とのことで、少し議論をしたことがあったのです。
私の根拠は>>693の通りですが、これだと>>706の疑問に当たってしまうのです。逆に(頼綱ほどには反日蓮でない)
宣時配下だとすると、この疑問は解消されることになるんですね。その代わり、道は知っているはずということになりますが。

もし書かれている「道順説=斬罪は日蓮の早合点かも説」なら、上記のような堂々巡りはどうでも良くなりますね(笑

後ほど>>705についても、以前に他スレで述べた私見を書いてみます。ありがとうございました。
日蓮って ver.26
719 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/02(日) 13:50:09.99 ID:jkZ45BN/
>>709 さん
いえ、私が矛盾しているというのは「日蓮の書」と「あなたの見解」ではなく、共に「日蓮御文」とされているもの同士についてです。

 「あえて触れず?」 ・・・ 「一谷入道御書」(真蹟) 「報恩抄」(真蹟)
 「あえて?触れる」 ・・・ 「四条金吾殿御消息」(真蹟無) 「妙法比丘尼御返事」(真蹟無) 「種種御振舞御書」(>>707)

ご存知かと思いますが、「報恩抄」以外は条件的にはどれも全く同じです。仮にすべて真書だとして、いずれも信徒向けの私信です。
また、「報恩抄」も追悼文ですから、上に挙げた各書はすべて幕府云々は関係無く、触れる・触れずと書き分ける理由が無いのです。

もうひとつ、たとえば「吾妻鏡」には彗星の他、あなたのいう「得体の知れない」光り物など、天変地異について複数の記述があります。
幕府の人員が随行している以上、またそれが本当に「種種書」に書かれるようなものであったのなら、何らかの形で記録が残ります。
そしてこれは単に私個人の私的な見解というだけでなく、当の日蓮も「報恩抄」に空海批判の絡みで書き記していることでもあります。

ちなみに、私が>>696冒頭で"ひかりもの"に関する記述を「日蓮の虚言」ではなく、「後世の脚色」だろうとした根拠もこれです。
ほぼ間違いなく公的な記録に残るであろうことを知っていながら、わざわざ嘘偽りを自ら私信で書き伝えるとは考えにくいですからね。
日蓮って ver.26
726 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/02(日) 22:42:04.12 ID:jkZ45BN/
>>714 さん
あ、はい。「面白い」は決してふざけてではなく、「大変興味深い」という意です。気を悪くされたのでしたらすみません。

で、>>705について。上の方でも何度か挙がっていた「悪口の咎」。これも日蓮系各派問わずほぼ定説となっており、
それを真っ向否定する意見に驚いたこともあっての>>689だったのですが、その他にもいくつか日蓮の記述によると、

・ただでさえ物騒な時世に(禁制の)刀杖を蓄え人を集めた。咎められて「仏法守護のため当然だ」などと反論するが、
 それは日蓮達には正当な理屈であっても、そもそもの「仏法」からして異なる人達には全く関係の無い違法行為。

・「他宗の僧侶を首斬り、寺院を焼き払え!」と主張して回った。しかも讒言でなく事実だった。というか本人が認めた。
 「時の執権の父や祖父らが地獄に堕ちた!」と言ったのはデマらしい。が、「生前から言っていた!」と余計に悪質だった。

等々、幕府方の視点で読んでみると、むしろ「これはもう斬られても仕方無い」とさえ思えることのオンパレードです。
当時の鎌倉は悪党取締令(≒治安維持法・戒厳令)や、僧侶(後に武士以外)の帯刀禁止令などが度々出されており、
こういった重罪の数々の適用や解釈を巡って評定も散々に揉め、頼綱らは「斬ってしまえ!」となったのかもしれません。
日蓮って ver.26
727 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/02(日) 22:43:22.90 ID:jkZ45BN/
>>715 606 さん
龍ノ口連行前の居所については、「平頼綱による捕縛・引き回しから北条宣時預かり」という記述から、幕府侍所か、
(可能性は低いでしょうけれど)宣時私邸のいずれかだろうと思います。下馬所はちょっと分かりません・・・すみません。

種種書には、「若宮小路(現在の大路)に差し掛かった辺りで兵士達が取り囲んだ」とありますから、おそらくはその時に
「下馬しろ!」などという声も飛んだのかもしれません。「諫暁八幡抄」(真蹟)では「嘲笑された」などと書いていますので。

そこからは由比ヶ浜に出て御霊神社の辺りで熊王を使いに出し、現在の収玄寺辺りから四条頼基が駆けつけています。
鎌倉を出たのが夜半過ぎ、龍ノ口が明け方、しばらくゴタゴタして依智へ出発。昼過ぎ到着という流れだったと思います。

私はあの辺は土地勘が薄く、関係寺院の多さに面食らった口ですので、細かな実地考証は皆さんにお願いします(笑
日蓮って ver.26
728 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/02(日) 22:44:44.28 ID:jkZ45BN/
>>720 さん
私が>>719で挙げた書"のみ"に限るなら、あるいはそのようにも考えられるかもしれませんね。
ですが、実際にはそうではなく、日蓮は依智到着後すぐから、実に多くの弟子・信徒に書状を送っているでしょう?

現在知られているだけでも、頼基の他に日朗・富木常忍・大田乗明・曾谷教信・金原法橋・道善房・領家尼など。
他にもいたかもしれませんが、ちょっと思い出せません。日朗や常忍らについては往復書簡の形で残っていますよね。

また、「いや、日朗は五老僧だから」と思われるかもしれませんが、それは常忍(「本尊抄」前)も頼基(「開目抄」前)も
まったく同じですものね。共に日蓮亡き後は日興には付きませんでしたから、機根で説明するのは難しいと思います。

「吾妻鑑」もひとつの例え(根拠)として挙げたまでですが、これは編纂者も複数、原典も多岐にわたる資料集です。
幕府公式とおっしゃいましたが、それなら絶対に載せないであろう偽の将軍御教書なんかも収録されているそうですよ。

また、幕府側との理由で排するのでしたら、同じ理由が日蓮の書に当てられるのも理解していただけると思います。
日蓮って ver.26
729 :山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage]:2014/03/02(日) 23:36:08.65 ID:jkZ45BN/
>>728 さん  ※ すみません、>>719に見落としがありましたので>>728に補足させて下さい。
"ひかりもの"について、「日蓮自身が必要性をあまり感じていなかったのではないか」とのことですが、もしその通りだとするなら、
これを三大法難の筆頭、発迹顕本の契機と観ることと矛盾が生じます。「日蓮が如くにし候へ」(松野書)ではないわけです。

あえて記載される各書に拠るなら、"ひかりもの"は「法華経の行者を護る諸天の働き」ですから、仏法上の一大事です。
「御消息」などではこれを三光天子のひとつ「月天子」であるとし、依智のそれは「明星天子」であるから、佐渡流罪以降には
必ずや「日天子」の守護があることだろう。と、法華経法師品を引いた上で「たのもしたのもし」(「御消息」)とまで書くわけです。

ご存知のように、こういった「仏法の道理」を説くにあたっては、日蓮は筆を惜しみません。
経論釈を引き、故事成語を連ね、むしろ「これでもか」と言わんばかりに情熱を傾けたのが日蓮文書最大の特徴ですよね。

否定目的などなく、あなた方の「常識」にも則った上で相応に適切な根拠も挙げているつもりですが、いかがでしょうか。


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