- 日蓮って ver.26
472 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/01/18(土) 12:41:25.14 ID:rvevkl1Q - >>470
なるほど、『理趣経』で説かれている「十七清浄句」の箇所ですね。ありがとうございます。 この十七清浄句では性交という行為もまた菩薩が悟りえるための境地であるという不邪淫戒とは反対の内容ですね。 さてここで、どっちの説を用いるか?と開祖の見解が問題になろうかと思いますが、男女の性交では子が出来る可能性があるでしょうから出家向けではないでしょうし、無責任な振る舞いでしょうね。 そうなりますと、、、、やっぱ精子の捌け口として男を相手に性交することが無難ということで、坊主の男色も良しとしての推測もできますね。 どんな生物でも人間以上に発達した脳をもつものはいないでしょうから、同性での性交を容認するなどとは、流石に人間らしい考え方だとつくづく思います。 このまえ、ある飲食店にて60超えの御婦人達の会話なのですけど、ある一人がこのように言っていましたね。 「たまに、むしょうに男がほしくなるときがある!」と・・・・。 同伴の人達も薄ら笑いをしていましたが、この発言こそ、なにも飾らない本能を垣間見たような思いをしましたね。生理が終わっても(多分w)メスはオスを受けいられるようで、涸れても涸れて も一応母なる大地なんだと思いましたよ。 そのてん男はとくると、一説に煙が出たら打ち止めらしいですが「想像即勃起・勃起即想像」が性欲の根源であり、男色行為でさえも欲望の本性は子孫繁栄という実体だと思いますれば、それを 仏教の僧侶だからといって「男のせっくすは良し」などと無理に解釈しなくてもいいんじゃないかと思いますがねw 子孫繁栄を十如是に照らしてみれば考えてみれば、これほと的をついた実相はないとおもいます。・・・『唯男と女と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり』・・・と、ピッタシでしょw。 森羅万象に反する男色行為の教義には疑問をもっております。
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