- 日蓮って ver.26
448 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/01/15(水) 05:46:37.55 ID:O8ps2bvb - >>408 (410の続き)
日目の詳細はしらないが、日興が師日蓮から相承した男色の秘義が日興以降も相承されたことは想像に難くない。 すくなくとも日蓮当時、出家社会とくに日蓮が一時起居した比叡山中心に男性同性愛は広く行われていた。 おそらく、日蓮:「真の弟子は日興、そなただけよ」日興:「大聖人さまこそ御本仏」日蓮:「な、南無妙法蓮華経」 などという会話が行為のさなかに幾度となくかわされ、互いの愛と信心を同時に確かめ合ったのだろう。 そう考えれば、日興が自身にとって生身の御本仏としての日蓮を開示してみせたことは心情的に納得できるのである。
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- 日蓮って ver.26
449 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/01/15(水) 06:06:17.12 ID:O8ps2bvb - そして実直な日興に日蓮は「わしは上行菩薩の再誕じゃ、だがそれはおまえにだけ秘して言うことだ。他の五人はあずかり知らぬ。
わしの後、おまえはわしと同じく、霊肉を分かち合うただ一人にのみこの法門を秘して伝え、決して他の五人と争ってはならぬ。 なぜなら6人すべてが一門の法華経の行者として協力しあわねばならないからだ。」というような趣旨を述べたのではないだろうか。 だとすれば五老僧はむしろオフィシャルな日蓮の教義、いわば表向きの教義を継承したことが確かであるとしても、 富士派がいうように日蓮が日興だけに明かした法門があるというのもまた虚偽ではないことになり、全体が整合的に解釈できる。
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- 日蓮って ver.26
450 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/01/15(水) 06:18:12.68 ID:O8ps2bvb - >>408
>もしもその男社会の中でホモ仲が普通に行われていたとしても謗法にはならないだろうとも思いますが、、、どうでしょうか? 個人的見解としては謗法そのものと思う。なぜなら欲望の超克による精神の覚醒を目指すのが本来の仏道修行であるからだ。 しかし、当時にあっては、あなたがいうように謗法とは考えられていなかったからこそ広く行われていたのだろう。 これはもっと明らかな謗法すなわち女犯を避ける、いわば方便として正当化され用いられていたのではなかったろうか。 そう思うと、女は汚れたもの、女は成仏しがたいなどという観念は女性蔑視と言うより、女を遠ざけるための禁忌と考えられる。
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