トップページ > 創価・公明 > 2014年01月13日 > gUsIUNjW

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名無しさん@お腹いっぱい。
創価学会・初心者質問スレ part65

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創価学会・初心者質問スレ part65
494 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/01/13(月) 17:53:05.05 ID:gUsIUNjW
日蓮は、当時の日本国を謗法(ぼうほう、誹謗正法=ひぼうしょうぼうの略語で正しい法をそしること)と定め、開目抄で「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前(さき)とす、安楽行品(あんらくぎょうぼん)の如し。
邪智謗法の者多き時は折伏を前とす、常不軽品(じょうふきょうぼん)の如し」と定めた。
日蓮が、法華経の常不軽品をもって折伏の例を出したのは、天台宗の智の「法華文句(ほっけもんく)」によったものであり、
そこに登場する常不軽菩薩が人々から誹謗中傷されても、常不軽菩薩自身は人々を軽んぜず、一心に礼拝したことである。
今日の一般的な認識においても、また一部の法華系教団においても折伏がいわゆる人々への強引な布教活動だと誤解される向きがあるが、
日蓮自身はそのような強引な布教行為ではなく、常不軽菩薩のように人々から誹謗中傷されて迫害を受けても、ひたすら正しい真理(正法)を求め、
また理路整然と伝えていくことが真の折伏である、ということを表している。
また日蓮は「唱法華題目鈔」などに、慈悲の「慈」を父の愛として、それが折伏であり、
「悲」を母の愛として、それを摂受であるとして、摂受の裏に折伏があり、
反対に折伏の裏に摂受があることを示唆した。
従って、日蓮がいみじくも指摘したように、摂受も折伏も異なるように見えるが、仏の正しい法へと導くための大事な手だてであり、どちらも離れて存在し得ない化導法である。
つまり仏法においては不二即一の法門から、摂受即折伏、折伏即摂受ということができる。


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