- 日蓮って ver.26
404 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/01/12(日) 07:10:53.28 ID:vRvTrWza - 321の続き
五一相対というが確かに日興の日蓮解釈は他の五老僧と際立って異なっている。これが古い文献の解釈の話なら不思議でも何でもない。 ところが六老僧はいずれも日蓮の直弟子で日蓮の謦咳に接し日蓮の信頼を受けていた同僚であり同志であったわけである。 客観的にはやはり日興が特殊な立ち位置にあったと言うべきだろう。それは322さんの示唆するように日興の焦りのせいだろうか? じつは私もはじめは日興が焦りや自己顕示から故意に教義上の特色を出そうとしたのではないかと考えていた。 ところが日興と言うのは師の日蓮と違って人格的な問題がないらしく、悪評と言うものが見当たらないのである。
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- 日蓮って ver.26
405 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/01/12(日) 07:35:07.65 ID:vRvTrWza - つまり日興は精神的情緒的に安定した人だったので、自分の都合で教義を曲げるような人物だったとは思われない。
日興の日蓮解釈は、師日蓮の死後に明かされた日興の本心の信仰告白であったと見ることが妥当だろう。 前スレで御書に詳しそうな方が「べてべた感」と書いていたが、日興は流罪の日蓮にも付き添い世話をしたという。 そこで当時の出家社会における男色の実情などを考えると日蓮と日興に関係があったとしても何ら不自然ではない。 むしろそう考えたほうが日興の特殊性や五老僧との違いをめぐる諸事情がよく説明できそうである。
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- 日蓮って ver.26
407 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/01/12(日) 07:58:20.54 ID:vRvTrWza - こういったからといって、「おおっ日興、そ、そこだ、南、南無、南無経法蓮華経〜」とか、「ああっ、だ大聖人さま〜っ」
とかの嬌声が身延の山中に毎夜轟いたなどと揶揄したいのではない。例えて言えば織田信長と森蘭丸のような関係と言おうか。 なにしろ日蓮の弟子となった時、日興は12歳である。弟子と言うより小姓というような身だったはずである。 そして321で紹介した松尾先生の著書が指摘する当時の比叡山や出家社会の実情を考えると日蓮もそういう洗礼を受けていたはずだ。 比叡山という当時の最高の修学修行の場で行われている習俗に染まった日蓮がこれを弟子日興に伝授するのはむしろ当然と思うべきである。
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- 日蓮って ver.26
409 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/01/12(日) 11:27:38.47 ID:vRvTrWza - >>406>>407
男性同士の性愛と言えば肛門性交を想像しがちだし、自分も日蓮の晩年の病状との関連を疑ったが、必ずしも肛門性交は一般的でないようだ。 ただ日蓮はフロイト派のいう「肛門性格」の類型に当てはまると自分は見ており、これは日蓮の幼児期における両親との葛藤のためと思われる。 その意味でもし日蓮が肛門愛を営んだとすれば、むしろ日蓮は受け入れ側のほうであったのではないだろうか。これは痔の原因になりうる。
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410 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/01/12(日) 11:31:18.32 ID:vRvTrWza - 以下Wikipedia「アナルセックス-男色における肛門性交」より転載
「日本でも、僧侶と稚児の男色、武士の世界の衆道、陰間茶屋など男色文化の歴史が存在する。奈良・平安時代頃からは、天台宗などでは 僧と稚児の初夜の直前に行われる『稚児灌頂』という儀式があり、稲垣足穂『少年愛の美学』にはそのやり方が詳しく書かれている。 灌頂を受けた稚児は観音菩薩の化身とされ、僧は灌頂を受けた稚児とのみ性交が許された。」
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