トップページ > 創価・公明 > 2014年01月03日 > bDsviMsV

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名無しさん@お腹いっぱい。
日蓮って ver.26

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日蓮って ver.26
227 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/01/03(金) 07:40:56.69 ID:bDsviMsV
>>226 (アクセス規制なのでまたこれで失礼)

いやいや、その少ない遺文からも見えるものがあるのですよ。法然が「本尊」をどう考えていたか、とかね。
単純に「阿弥陀佛」じゃない。むしろ阿弥陀佛とその浄土を説き明かし指し示す「教主」としての釈尊を本尊としたりとかね。
さてさて、そうなると娑婆世界の教主釈尊が本尊ですよ?
証空のテクストが間接的手がかりになったり、この辺は実に興味深い分野です。

>「法然も親鸞も天台教学に精通していた」が、彼らは天台教学に飽きたらず
> 一宗を立てて独自の教学を選び取ったとするのが一般的な見方ですね。

そりゃ天台教学の「枠内」にはないですよ。じゃなきゃ新たな宗派にはならない。
でも、何をどう考えていたかを知るための文脈としては天台教学が重要なのです。
各宗の後継者たちはそりゃそういう天台色を払拭すべく宗学を樹立するわけですけど。
日蓮もそこはそうですね。日興以外が漢文重視で日興のみが仮名遺文重視だったのは
日興が正統だからとかそういう話ではなくて、弟子たちの間では漢文の方に
教理上の本旨があるという共通了解があったからです。

> これを読んでも「本当の念仏は判らないのだ」とあなたが仰るなら、
> それは親鸞自身が自筆の書状で語ってる内容の否定です。

信行面はまさに易行であって、それでいいのです。天台的な佛教理解の下での教理的裏付けがあって、
しかし結局は信行面では称名やら唱題の易行に帰着する、という点では、
信仰者としては知らなくても差し支えないでしょう。ただ、私は信仰者ではなく
研究者なのでして(といってもこの辺りの日本佛教を専門にしているわけではありませんけれども)。

> 教行信証については確かに仰る通り、天台教学も踏まえて念仏の正当性を説いていますが、
> これは前後の状況からして念仏への弾圧対策と見るのが筋でしょう。

私はそう思いませんし、宗学者じゃない研究者は一般にそう思ってません。先に挙げた信樂さんも宗学者ですがそうは思っていませんね。
実際、たとえば教行信証なら、重要な「疑蓋間雑」の語釈でも、天台学の文脈で読まないとわからないのですよ。


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