トップページ > 創価・公明 > 2012年04月03日 > lKwjuimg

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名無しさん@お腹いっぱい。
学会の本尊はカラーコピーだった    17

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学会の本尊はカラーコピーだった    17
933 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/04/03(火) 06:31:36.53 ID:lKwjuimg
>>929-931
創価学会を破門した(=嫌った)のは宗門だから、「宗門=糞」と考えるのが道理。
何より、軍部政府に屈して神札を受け取ったり、宗祖御入滅後、七百年以上も経っているのに、広宣流布実現に近づくこともできない弱小教団を「真金」と思うのは異常。
身延の糞坊主どもにさえ、舐められている宗門のくせに、虚しいだけの強がりはやめろ。

宗門をどうしても「シンキン」と言いたいのであれば、「真菌(=カビの仲間の総称)がふさわしい。
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937 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/04/03(火) 07:17:34.10 ID:lKwjuimg
>>936
>なんで破門になったか、考えてみろ!
簡単♪
悩乱坊主が法主だったからだよ。

>創価の洗脳の鵜呑みで操作された情報を真実だと思い込む洗脳患者さん達、少しさ、自分の頭でモノ考えな!
自分の頭で冷静にモノを考えなければいけないのは、宗門の信者の方だよ。
血脈相承を受けた法主には“大聖人の法魂”“内証”が宿り、坊主や在家信徒は、その法主に信伏随従しなければ一切功徳がない、とオカルトまがいの邪義を吹聴しているのが今の宗門。
そもそも、特定の一人にだけ「法魂」や「内証」が伝わり、その人間を介さなければ成仏できないなどとする教義は、大聖人の仏法にはない。
御書にはまったくない邪義です。
こんな明々白々なことも分からないから、いつまでたっても腹黒い坊主どもに騙され続けるんだよ。
哀れ、哀れ。
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939 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/04/03(火) 07:38:59.51 ID:lKwjuimg
>>938
無い「奥義」や「秘儀」を、有ることにして法主を権威化しているオカルト教団が、何を言っても無駄。
そんな実態はもうバレバレなんだから諦めろ。
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944 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/04/03(火) 08:45:38.66 ID:lKwjuimg
>>940
少なくとも日顕以前の(学会と一緒にやってきた)法主は、今のような法主絶対主義を宣揚することを控えていた。
例えば達氏は
「代々の法主が日蓮大聖人ではない」
「我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。
【それに対して日目上人は座主である(中略)
その日目上人の後は、みな筒の流れのように、それを受継いでいくに過ぎない】」
(昭和52年5月、寺族同心会)と述べている。
日蓮大聖人と歴代法主は言うまでもなく、日興上人と日目上人以降の法主との間にも明確な区別を定めているではないか。
本当に血脈相承を受けた法主に、“大聖人の内証”があるのであれば、このような指南はありえない。

繰り返すが、今のような法主絶対主義の宣揚は、日顕が言い始めたことである。
もっと言うなら、日顕も法主になる前は、法主絶対主義を否定する発言を繰り返していたのである。
二枚舌とは、日顕のためにあるような言葉である。
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954 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/04/03(火) 09:48:05.55 ID:lKwjuimg
>>951
>創価って二枚舌だよね
学会を破門する前の日顕の言葉
「僧宝として尊敬するお方は二祖日興上人ただお一人ということになっておるのであります。
(中略)自分から進んで『僧宝なんだからもっと尊敬しろ』というようなことを思ったならば、
やはりこれは間違いであります」(昭和55年3月28日、在勤式得度式祝賀会)
「大石寺の基本はあくまでも日興上人を僧宝と立てる」(昭和56年8月25日、全国教師講習会)
「歴代法主は僧宝以下の立場であって、それを軽々しく仏様だ、仏様だというような表現は、少し言い過ぎである」(昭和58年3月31日、非教師指導会)

  ↓

宗門側が学会側に送付した『解散勧告書』(平成3年11月7日)
「僧宝として日興上人一人を挙げ、日目上人以下の歴代上人を除外している」
「本宗伝統の三宝義を改変する邪義」
などと非難している。

『二枚舌』とは、こういう事をいうのだよ。


>>953
>異常な執念で宗門のあらさがしに血道をあげる基地外洗脳患者の病状を観察するスレと化してきた件
現実に「あら」があるのだから破折されて当然。
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963 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/04/03(火) 12:37:55.47 ID:lKwjuimg
>>957
>その教えのどこが2枚舌なのか
これまで何度も説明した通り。

>僧宝随一は日興上人
>歴代の法主上人や僧侶も僧宝に属すると日寛上人の御教示にもある
別しての僧宝(=帰依の対象となる僧宝)と、総じての僧宝(帰依の対象にはならない僧宝)の区別ができていない。
日寛上人の『当流行事抄』では「久遠元初は仏法の根本なり、故に根本を信ずと云うなり(※久遠元初=帰依の対象を示す)」と断わった上で、
「久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり」と記されている。
つまり、帰依の対象になる僧宝は日興上人のみである。逆に言うと、日目上人以降の歴代法主は、帰依の対象とはならない。
キーワードは、帰依の対象を示す「久遠元初」にあるということを覚えておくことだ。

>なんども破折しつくされたものを出してくるな
宗門こそ、日寛上人に破折されていることに、そろそろ気づいたらどうだね。
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964 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/04/03(火) 12:48:11.98 ID:lKwjuimg
>>960
>南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。
>南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師。

これも何度も破折済み。
日興上人には、名前の前にも「南無」が付されている。
一方、日目上人には、一閻浮提の座主には「南無」が付いているが、名前の前には「南無」がない。
よって、日目上人以降の歴代法主は、帰依の対象にはならない。
日目上人以降の法主を、僧宝に入れるとするならば、あくまでも「総じての僧宝」である。
この区別を誤魔化そうとするなら、いつまでたっても宗門の僧俗は失笑され続ける。
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965 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/04/03(火) 12:57:11.85 ID:lKwjuimg
宗門は『解散勧告書』で、学会が「僧宝として日興上人一人を挙げ、日目上人以下の歴代上人は除外している」と決め付け、
「唯授一人の血脈を蔑ろにする師敵対の大謗法」「本宗の伝統の三宝義を改変する邪義」などと非難している。

しかし、もとより「三宝」として敬うべき「僧宝」が「開山上人」、すなわち日興上人と定められたのは日寛上人であり、学会が決めたことではない。

現宗門は、日寛上人のことを「師敵対の大謗法」とでも言うのか。
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967 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/04/03(火) 15:14:10.20 ID:lKwjuimg
>>966
>文章が読めないようだな。「嫡々付法歴代の諸師」というのは固有名詞があげられていないから南無を略しているのだ。
>いちいち列挙すると長くなるので、流れから当然のこととして省略したにすぎない。
「まず最初に結論ありき」の、いい加減なことを書くな。
「嫡々付法歴代の諸師」は、日道以降の歴代法主を略しているだけで、「南無」を略する理由にはならない。
そもそも日興上人は、「本門弘通の大導師」と名前の両方に「南無」が付されている。
一方、日目上人の場合も「一閻浮提の座主」に「南無」が付されている。それでいて、名前の方は略したと解釈するのには、あまりにも無理がある。

>その証拠に「嫡々付法歴代の諸師」までは行を改めていない。
行は関係ない。重要なことは「南無」が付されているかどうかである。総別の立て分けが全く分かっていないではないか。

何より、>>963で引用した『当流行事抄』を無視するのは何故か。
「久遠元初は仏法の根本なり、故に根本を信ずと云うなり」
「久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり」
といった、帰依の対象を明確に定義した部分を徹底的に避けるのは、よほど都合が悪い事と見なしてよいのか。
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994 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/04/03(火) 17:48:46.97 ID:lKwjuimg
>>976
>南無がついてようが、ついていまいが

>三宝は〜〜〜此くの如き三宝を
>この間の〜〜〜が三宝ですとご説明されている部分
南無が付いていようが、付いていまいが関係ないのであれば、付けたり、付けなかったり、誤解を招くようなことはしない。意味があるから付ける。
何度も繰り返すように、僧宝には、帰依の対象となるものと、ならないものがあるからだ。
「日目上人師」と「歴代の諸師」に、南無が付されていないのに、【此くの如き三宝を一心に之れを念じて…】とあるのは、「伝法」「付法」といった“功績”について、僧宝の意義を見出しているからである。
この部分が読めていないから、【此くの如き三宝を…】をもって、南無が付されていない日目上人以降の歴代法主も、帰依の対象となる僧宝であると誤読してしまう。

>吾が日興上人、嫡々写瓶の御弟子なる事分明也。故に末法下種の僧宝と仰ぐ也。
>爾来、日目・日道代々成く是れ僧宝也、及び門流の大衆亦爾也云云
頭は大丈夫か?
いま議論されているのは「帰依の対象となる僧宝」について。
【門流の大衆】まで出てくる文を引用して、何の意味がある。
お前は【門流の大衆】にまで、南無するのか。


※今後、僧宝の総別の立て分けを理解していないアホなレスは、スルーする。
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1000 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/04/03(火) 18:08:00.78 ID:lKwjuimg
>>984
>「嫡々付法歴代の諸師」に直接続く「此くの如き三宝」に、
>「嫡々付法歴代の諸師」だけが除外されるという解釈はありえない。

それがあるんだよ。「まず結論ありき」だから、ありえないとしか読めない。
理由は>>994でも軽く触れた。
『三宝抄』に「爾来、日目・日道代々成く是れ僧宝也、及び門流の大衆亦爾也云云」とあるように、
大石寺門流における末法下種の僧宝は、日興上人をもって随一とするが、それ以降を考えると、歴代貫首や門流の僧侶たちも“僧宝の一分”を担うものとされるのだ。
日寛上人の僧宝論に通底しているのは、僧宝たる資格が「開山」「座主」「歴代」等の立場ではなく「付法」「伝法」の功績によって与えられる、とする論理である。

話をまとめるが、お前が避けまくっている『当流行事抄』に
「久遠元初は仏法の根本なり、故に根本を信ずと云うなり」
「久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり」
と記されているように、根本として信ずる対象となる僧宝は、日興上人のみ。
それ以外の歴代法主は、「伝法」「付法」といった“功績”によって、“僧宝の一分”を担うに過ぎない。

それにしても日顕宗の信者は、六巻抄が読めてないな〜。


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