- 学会の本尊はカラーコピーだった 17
814 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2012/04/01(日) 16:39:22.19 ID:95MW7+5b - 末端家畜信者がなんと言おうが
信徒の中で、一番近くにいた池田太作が厳然たる事実と 本にまで書いて認めているのである 「第六十七世御法主日顕上人猊下に、この絶対なる血脈は、厳然と承継されているのである。 だれ人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである。」 (「広布と人生を語る」第二巻 昭和五十六年六月七日)と述べています 【これは侵しがたき、明確なる事実なのである。】 キンマンコの「こ」が聞こえないように この字もMC儲には読めないのか?w わらけるwww
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815 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2012/04/01(日) 16:41:34.41 ID:95MW7+5b - それとこれな
今の家畜達を非難しているな 「もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、 読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。 外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水瀉瓶の血脈がない。 法水瀉瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである」 (広布と人生を語る八―二二八) 【法水瀉瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである】 いいこと言うねぇ 池ちゃん
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816 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2012/04/01(日) 16:43:38.43 ID:95MW7+5b - 「今日において、歴代の御法主上人を日蓮大聖人と仰ぐのが、
日蓮正宗の信心であり、学会の伝統である。 御法主上人を『軽(かろ)しむ』ようなことがあれば御書に照らしても 堕地獄(だじごく)は疑いない。 私共は、何があろうと、御法主上人の御指南のままに邁進(まいしん)し、 僧俗和合を築いていくことを確認しておきたい」 (昭和五十五年十一月二十六日 学会創立五○周年記念幹部登山・北條浩会長指導) いいこと言うねぇ 北條ちゃん 後に創価が狂ったので、北條一家は全員宗門に帰伏
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819 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2012/04/01(日) 16:55:20.74 ID:95MW7+5b - 元々ニセ法主の主張は、正信会の発言を創価がパクったもの
正信会元議長の証言 <渡辺広済・元議長> 「日達上人が、次はあの人(日顕上人)に譲(ゆず)ろうと思っていたことは間違いない。」 「私も佐々木(秀明)も、日達上人から『次は阿部(日顕上人)でいこうと思っているんだ』ということを聞いている。 (日達上人が日顕上人を67世として選定されていたことは)間違いない。」 「私は、御相承に関して正信会が起こした裁判の原告には名を連ねていない。私としては、御相承を信じたい気持ちは山ほどある。」 「(住職罷免〈ひめん〉・擯斥処分の直接原因となった)第5回檀徒大会の開催も、私と佐々木は大反対だった。 (日顕上人が)『やめろ』と言われているのだから、やめればいいじゃないかと。ところが、丸岡文乗・山口法興らが、 『やらなければだめだ』と強硬に主張した。 罷免になったあと、『見てみろ、お前らがやれやれと言うのでやったら、クビになったじゃないか』と彼らに言ってやった。」 「正信会の若い連中は、阿部さん(日顕上人)に対してずいぶん失礼なことを言った。『あなたは承(う)けていないじゃないか』と。 そんなことを言われれば怒るのは当然で、それでいて、『瞬間湯沸かし器が怒った』の、何のかんのと言う。 それがバカらしくなったこともあって、私は議長を辞めた。」
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821 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2012/04/01(日) 16:57:31.21 ID:95MW7+5b - 正信会<佐々木秀明・元副議長>
「(正信会では日興上人を唯一の僧宝としているが)私はそうは思わない。日興上人と御歴代を区別する考え方はおかしい。」 「私は、日達上人が阿部さん(日顕上人)に『後を頼む』と言ったと思う。だとしたら、相承(があった)ということだろう。」 「お側で聞いたわけではないが、(日達上人が)千葉の在家の前で『この次はこの阿部(日顕上人)にさせるんだ』 とおっしゃったことだってあった。」 「『頼むぞ』と言ったのだから相承だと、皆なそう思っていたのに、自分たちの都合が悪くなったら、皆な変わった。創価学会も正信会も。」 「(相承を認めていながら)裁判を起こしたことは自語相違になるだろう。私は最後まで、あれは却下になると思っていた。」 「(管長の地位不存在の裁判は)時の流れだった。私としては、やればやったでしょうがないという考えだった。 私自身はする気はなかった。ただ、上に立つ者として、名前を連ねることはしょうがないという考えだった。」 「正信会の上に立つ者として、私は(事態を収束させようとする)日達上人の言われたとおりに行なおうとした。 院達に従い、板本尊模刻のことを言うのも止めた。しかし、鬼の首を取ったような気でいる下の者は聞かない。 そこのところでずいぶん苦労した。下の者にはその気持ちは分からないだろう。」 「(日達上人が学会攻撃の鉾〈ほこ〉を収めようとされた)それを継いだのは阿部さん(日顕上人)だと思う。 (日達上人の)お心のままにやっているのではないか。私は、下の連中との間に立って苦労をした。」 「そもそもこの運動(学会破折運動)は(宗門と正信会が)1つになってやるべきだ。もったいない話だ。ケンカする問題ではない。」 「阿部さん(日顕上人)が『お前たち悪かったな、大石寺に帰ってきてくれ』と言えば、(私は)すぐに帰る。」 「(日達上人から日顕上人への相承があったと認めたことを)他で話してもらっても構(かま)わない。」
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