トップページ > ハングル > 2023年06月05日 > y2/0pqoS

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マンセー名無しさん
在日は被害者日本人。加害者生粋ジャップとは違う

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在日は被害者日本人。加害者生粋ジャップとは違う
424 :マンセー名無しさん[sage]:2023/06/05(月) 20:25:53.64 ID:y2/0pqoS
>>421
(ハ)動員の実情
徴用は別として、その他いかなる方式によるも出動は全く拉致同様な状態である。
それはもし事前においてこれを知らせば皆逃亡するからである。
そこで夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて人質的略奪拉致の事例が多くなるのである。
なぜ事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼等を精神的に引き付ける何物もなかったことから生じるものと思われる。
内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして、彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破壊がしばしばあったからである。

特に、西北朝鮮地方の労務管理は全く御話にならない程残酷である。故に彼等は寧ろ軍関係の事業に徴用されるのを希望する程である。
斯くて朝鮮内の労務規制は全く予期の成績を挙げていない。如何にして円満に出動させるか、如何にして逃亡を防止するかが
朝鮮内における労務規制の焦点となっている現状である。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B02031286700 p28~
内務省 復命書(1944年7月)
在日は被害者日本人。加害者生粋ジャップとは違う
425 :マンセー名無しさん[sage]:2023/06/05(月) 20:28:05.67 ID:y2/0pqoS
>>421
(インタビュー) 強制連行、史実から考える 歴史学者・外村大さん

――強制連行は「なかった」と主張する人がいますが。

とんでもない。朝鮮半島で、日本内地への暴力的な労務動員が広く存在していたことは、史料や証言からも否定しようがありません。
政府は1939年から毎年、日本人も含めた労務動員計画を立て、閣議決定をした。朝鮮からの動員数も決め、日本の行政機構が役割を担った。
手法は年代により『募集』『官あっせん』『徴用』と変わりましたが、すべての時期でおおむね暴力を伴う動員が見られ、
約70万人の朝鮮人が主に内地に送り出されました。
こんな当たり前の史実が近ごろ、なぜか曲解される。誤解や間違いも目立つ。歴史家の常識と、世間の一部の感覚とが、ずれてきたように感じています。

――事実の断片と歴史の本筋。どうすれば見分けられますか。

何が一般的で、何が例外的な出来事だったかを見分けるには、幅広い史料にあたり、ミクロとマクロの両方から押さえる必要があります。
日本の統治機関である朝鮮総督府の調べでは、太平洋戦争開戦前年の1940年に朝鮮農村で『転業』を希望していた男性は24万人程度しかいなかった。
朝鮮内部の動員や満州への移民もありましたから、その年だけでも底をつく人数です。翌年から人集めが大変になったのは疑いようがない。
実際、内務省が調査のため1944年に朝鮮に派遣した職員は、動員の実情について『拉致同様な状態』と文書で報告しています。
厚生省から出張した職員も1945年1月、村の労務係の言葉として、住民から『袋だたきにされたり刃物を突きつけられたり命がけ』だと報告している。
それほど抵抗が広がっていたのに、日本帝国は無理に無理を重ね、逆に動員数を増やしていったのです。
https://i.imgur.com/KGQWv8I.jpg
(朝日新聞デジタル 2015年4月17日)


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