- 日本は文禄・慶長の役について謝罪すべき
23 :マンセー名無しさん[age]:2018/02/20(火) 23:04:43.52 ID:FO2LmVWo - >>14
1.仏越戦争 19世紀、フランス人宣教師たちはナポレオン3世のアジア侵略の先兵としての 役割を担った。すなわちフランス政府はカトリック教会のアジア布教支援 という名目で出兵した。それに危機感を覚えたベトナムの阮朝は、スランス人 宣教師2名とスペイン人宣教師2名を処刑した。これに対して1858年に ナポレオン3世はスペインと共同して艦隊を派遣し、南部ベトナムを制圧した。 1862年、フランスはベトナム(阮朝)との間で講和条約としてサイゴン条約を締結し、 コーチシナ東部三省(サイゴンを含む)を割譲させた。フランスは1887年に ベトナム・カンボジアをフランス領インドシナ連邦とし、さらに1899年の ラオスを保護国化して編入したことによって植民地支配を完成した。 2. 丙寅洋擾 (Byeong-in Yang-yo) 朝鮮半島には1840年代からフランス人宣教師団が派遣されはじめ、1956年には 信徒が1万7000名に達したとされる。宣教師団は許可なく土地を占有して教区を 広げた。李朝の権力者大院君はフランスの野望を危惧し、1866年にベルヌー司教を 筆頭とする9名の宣教師を処刑し、信者多数を虐殺した。北京の駐留代理公使 ベルネは報復としてローズ海軍少将指揮下のフランス兵600名と仏海軍の 極東艦隊に遠征命令を出した。遠征隊は江華島に上陸して金塊や宝石などの 財宝を奪ったが、朝鮮軍の頑強な反撃に遭い、分隊の3分の1が死傷する壊滅的な 打撃を受けて敗走した。 3. 朝鮮教会史 仏人宣教師シャルル・ダレの 「朝鮮教会史」 はフランスの植民地拡大政策を 正当化する目的で書かれたもので、ことさらに李朝の治世を貶めるように 書き立てている。しかしそう書けば書くほど、「なぜそのような脆弱な李朝に 強国を標榜するフランスが惨憺たる大敗を喫したのか」 と各国から嘲笑を あびる結果となった。 http://news.joins.com/article/21571268
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