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マンセー名無しさん
【槿惠】李氏朝鮮VS琉球王国10【翁長】 [転載禁止]©2ch.net

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【槿惠】李氏朝鮮VS琉球王国10【翁長】 [転載禁止]©2ch.net
587 :マンセー名無しさん[]:2017/05/20(土) 17:54:23.07 ID:dPvThqhh
今どきの歴史 城久遺跡群(鹿児島県喜界町) 考古と文献、幸福な連携 毎日新聞2017年5月15日
https://mainichi.jp/articles/20170515/dde/018/040/051000c
城久(ぐすく)遺跡群(鹿児島県喜界町)の調査開始(2002年)から15年がたった。九州の南約380キロ、
奄美大島の東に浮かぶ小さな島の遺跡ながら、これまでの発掘と研究成果は古代日本国家の版図を広げ、琉球史像を
ひっくり返した。さらには新たな研究の可能性をみせている。


同遺跡群は喜界島中央部の高台にある8遺跡の総称で、計約13万平方メートル。9世紀から15世紀にまたがり、
本土の平安から室町時代ごろにあたる。

最初から異様な遺跡だった。九州の南に連なる琉球弧の他の島々と出土遺物が全く違う。早い段階から中国産青磁など
他島にないものが存在する一方、他島が使う在地の土器がない。さらに製鉄や米・麦の栽培開始も沖縄本島より早い。


何がこの島であったのか。吉成直樹・法政大沖縄文化研究所教授や発掘報告書によると、1期(9世紀〜11世紀前半)は
「大宰府の出先」とも言われる時期で、古代国家が南島に朝貢を促す拠点だったらしい。螺鈿(らでん)細工用の夜光貝が最重要品。

2期(11世紀後半〜12世紀)が遺跡群の最盛期。中国、高麗産の磁器、さらに西九州産の陶器などが大量に出土する。
農耕や製鉄開始もこの時期だ。

吉成さんは「交易が国家的な管理を離れ、南九州の勢力、日本商人、高麗商人らが移動しながら中継貿易を行った」
と考える。日宋貿易の活発化を背景に多民族が往来する活気ある光景が浮かぶ。

そして、この時期、高品質の陶磁器類が沖縄本島はじめ琉球弧全体に一気に広まった。喜界島を拠点に、ひとつの
広域文化圏が形成されたのである。

3期(13世紀〜15世紀)になり、遺跡の規模は縮小する。

2期を典型に、琉球弧の最先進地が喜界島だったのは明白だ。加えて重要なのは、琉球王国成立につながる沖縄の
グスク時代の始まる時期が2期と一致することだ。
【槿惠】李氏朝鮮VS琉球王国10【翁長】 [転載禁止]©2ch.net
588 :マンセー名無しさん[]:2017/05/20(土) 17:54:53.37 ID:dPvThqhh
従来の琉球史では、琉球弧の文化は沖縄本島から周辺に波及したと考えられた。だが、変化の方向は逆で喜界島→沖縄本島だった。
本土の強い影響のもと、技術と知識で優位に立つ喜界島の人々が沖縄本島に移動し、当地の人々を動かし、沖縄の変化と発展を
促したのだ。喜界町教委で発掘を担当する野崎拓司主査は「この遺跡が発信し、技術や情報が南島全域に広がった」と評し、
吉成さんも「歴史像を一変させた。城久遺跡群の影響はそれほどに大きかった」。


遺跡群の発見前、その存在を予見する論文が歴史学から出た。1987年、鈴木靖民・国学院大名誉教授が古代の史料に
みえる南島の朝貢活動から階層化した社会への移行を考え採集経済社会像を描くにとどまる考古学との食い違いを指摘した。

考古学にも卓見はあった。池畑耕一氏(鹿児島県立埋蔵文化財センター=当時)が喜界島を試掘。98年、進んだ土器が
出る半面、在地土器が出ないことから島の特殊性、大宰府との関連を示唆したのだ。高梨修・奄美博物館学芸員は池畑論文を
評価し、吉成さんも「考古学と歴史学の非常に幸福な結びつきだった」と振り返る。


発掘が終わり、総面積約13万平方メートルのうち約6万平方メートルが保存された。今、現地は元の静かなサトウキビ畑に
戻っている。総括報告書も刊行された。ところが、これで終わりではなかった。

遺跡群南方の手久津久(てくづく)地区で、また中国産の高級磁器が大量出土したのだ。時代は14世紀から15世紀の
半ばまでと、城久遺跡群3期と同じ。文献によると、沖縄本島に成立した琉球王国(第一尚氏)がまさにこの頃、
喜界島を何度も攻め、3年でやっと征服した。

発掘した野崎さんも高梨さんも「(尚氏王朝に立ちふさがる)強力な勢力の存在を考古学的に裏付けられるかも」と、
文献史学との次なるコラボに期待している。【伊藤和史】


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