- 【独島からの】月山酋長研究第162弾【呼び声】
21 :マンセー名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 15:37:25.38 ID:6HJu5Ohx - 【竹島問題】李在五「信念を持って、戦犯の末裔の鬱陵島訪問を防ぐ」[07/22]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1311443498/ (ソウル=聯合ニュース)ジャン・ハナ記者= 李在五(イ・ジェオ)特任長官は22日Twitterを使い、日本の自民党議員の鬱陵島への訪問を阻止す る事に対しての賛否意見を募集した。 李長官は「国務委員としての哲学と信念を持って、戦犯の子孫(※1)の鬱陵島への訪問を防ぐ」と し、「国民の賛否を聞きたい」と話した。 一部で「鬱陵島への訪問阻止などが却って、独島問題を国際紛争化させようとする日本の意図に沿う のではないか」という意見が出ているためだ。 李長官は「『侍たち(※2)4人を独島に案内して、現場学習をさせよう』『デモ隊と衝突する映像 を世界のマスコミに出ないようにするのが最善だ』『最大限の理性と無関心で、彼らの狙いと意図を 水の泡にしよう』等のような意見が一部メディアで報道されている」とし「だが私はそんな意見には 明確に反対する」と述べた。 続いて、「彼ら(=日本の議員)に『韓国に行ったら、独島について笑えなかったよ。これ以上、独 島を日本の領土だと言うのをやめよう』と言わせるほどに強力に対応しなければならない」とし「彼 らの鬱陵島の上陸を防がなければならない」と主張した。 李長官は自民党議員が来月1日から4日の日程で韓国を訪問し、このうち2日か3日に鬱陵島を訪れ ると予想されるため、31日に彼らに先立ち独島を訪問する計画だ。 彼は独島で海洋警察警備隊員たちと寝食を共にし歩哨を選択、その翌日に海上警察の巡視船で一晩を 過ごし三日目に鬱陵島に上陸、その後は暫く滞在し自民党議員の鬱陵島訪問を阻止、独島に対する領 有権主張の意志を強調する方針だ。 聯合ニュース/韓国語(2011/07/22 17:27) http://www.yonhapnews.co.kr/politics/2011/07/22/0503000000AKR20110722167300001.HTML
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22 :マンセー名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 15:38:15.06 ID:6HJu5Ohx - ※1:戦犯の末裔
特命チームの団長である新藤義孝議員は、硫黄島で有名な栗林忠道大将の孫。 ※2:侍たち 日本人のことを言っている。 原文も『侍』。
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23 :マンセー名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 15:38:34.76 ID:6HJu5Ohx - 【韓国】 強大国の条件〜「韓国が強大国になる日=統一される日」[07/23]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1311428071/ 強大国になる条件にはどんな類型があるだろうか?様々な必要条件があるがその内一つの条件 として国際社会で大きな国が相手方のある一つの国について「強大国」と称して認めれば「強大 国」になる場合もあると著名な国際政治学博士であるイ・チュングン博士が言う。 だから米国の立場から見る時、現在はアジア政策を樹立するには日本や中国を通じてなされる状 況が韓国を中心に自由民主統一がなされて力を発揮することになれば、アジア地域で韓国が戦 略的な核心国家になると強調した。 だが、韓国が国力で計算すれば世界12位の力を保有した国家であるとはいえ、我が国民が肌で 感じる指数は20位圏とも思えないと話してそれだけ大きくなった国力にもかかわらず、国家的力 の増大に対する自負心は低い状態と指摘した。 韓国経済研究院外交安保研究室長のイ・チュングン博士は21日国際外交安保フォーラム朝食会 講演会に参加して最近の情勢に対する論評を通じてこのように話し、大韓民国が強大国になる日 は統一される日と脈を同じにするとこれらを関連づけた。 イ博士は北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)が去る5月20日から26日まで中国を訪問した事実 と関連して、その目的が「武器購入のために訪中した」としながら、「しかしキムの5泊6日訪問は 行楽に終わったと見られる」と診断した。中国もまた、金正日の武器要請を快く受け入れないこと ということだ。 (後略:以下金正日の話) http://www.konas.net/wdata/article/090821/090821_30667.jpg ▲イ・チュングン韓国経済研究院外交安保研究室長 イ・ヒョノ記者 ソース:コナスネット(韓国語) 強大国の条件 http://www.konas.net/article/article.asp?idx=26099
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24 :マンセー名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 16:02:01.48 ID:6HJu5Ohx - 【ルポ】中国の中の韓民族史探訪 古代史から近現代史まで、中国で歴史の現場を巡る[07/24]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1311462294/ 「安重根(アン・ジュングン)! 安重根、買ってください」 1世紀前に韓民族の英雄が殉国した歴史の現場は、参道に軒を連ねた露天商で賑わっていた。 今月11日、中国・遼寧省大連市の旅順監獄入り口。ずらりと並んだ屋台では、色あせた安重根の 伝記や炒めたヒマワリの種が売られていた。中国の商人は、表紙に『安重根研究』と書かれた冊子 を逆さに持ったまま、韓国人旅行客の袖をつかみ「安重根、買って下さい」と迫った。 監獄の正門前の広場に着くと、イ・ドンオン独立記念館責任研究員がマイクを握った。「安義士は、 監獄に入ったとき体重が54.5キロ、殉国当時は体重56.5キロでした。収監中、体重はむしろ増えた のです。それだけ、最後まで毅然(きぜん)としていたということです」。安重根は、獄中で92日に わたり自叙伝を書き続け、1910年3月26日に死刑が執行された。「日帝は遺体すら遺族に引き渡し ませんでした。あの門の外に運び出し、山中に埋めたということですが、まだ遺骨は見つかっていま せん」。すると皆、首を伸ばして辺りを見回した。しかし門の向こうには、新しい高層マンションが びょうぶのように立ち並んでいるだけだった。 ■安重根の殉国現場、旅順監獄 本紙が企画した「先生方と共に行く中国の中の韓民族史探訪」ツアーは5泊6日の日程で、最初の 行先は旅順だった。ソウル・仁川・京畿道・忠清道地方の学校教諭ら198人からなる第1次探訪チーム は、民族の苦痛を秘めた現場の前で静まり返った。監獄の規模は、意外にも大きかった。映画で見る ような狭い廊下に沿って、258の監房が上下左右に配置されていた。暗くどんよりとした拷問室、死刑 執行場では鳥肌が立った。セメントの床に据えられた「大」の字状の拷問台、壁につるされた棒と鎖……。 安重根の監房は、看守部長の当直室の横にあった。「ここに来ると、安重根が味わった苦しみが、より 一層胸の奥深くまで伝わってくる」と語る富興小学校(京畿道富川市)のファン・ソンソン教諭(49)の 口からは、ため息が漏れた。
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25 :マンセー名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 16:02:25.75 ID:6HJu5Ohx - ■ガラスケースの中の「好太王碑」
吉林省集安市にある公開土王碑遺跡は、中国の東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入 しようとする試み)の現場でもあった。高さ6.39メートル、重さ37トンのどっしりとした花こう岩の碑石は、 ガラスケースの中に収められていた。中国当局は、碑石を「保護」するとしてガラスの壁で囲み、屋根で 覆ったが、まるで縛られているかのようだった。中国側の案内員は「中国の少数民族・高句麗の王だった 好太王は…」と無表情で説明を続けた。ガラスの館の中では、写真撮影も禁止された。キム・ヒョンスク 東北アジア財団研究員は「少し前までは、韓国から訪問団が来ると中国の公安が後を付いて回ることも あった」と不平を漏らした。展示場の外に出ると、朝鮮族の商人がニンジンを売っていた。「私の祖父は 独立軍だった。韓国のお金で三つで1万ウォン(約748円)」 ソース 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2011/07/24 http://www.chosunonline.com/news/20110724000019 http://www.chosunonline.com/news/20110724000020 http://www.chosunonline.com/news/20110724000021 http://file.chosunonline.com//article/2011/07/24/224600755749518212.jpg http://file.chosunonline.com//article/2011/07/24/192387118220666603.jpg
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26 :マンセー名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 16:04:29.94 ID:6HJu5Ohx - ■白頭山の頂上には赤い字で警告文
分水嶺は、白頭山の登頂だった。上り坂の入り口には、漢字で「長白山」と大きな案内が表示されてい た。合計1236段の階段が、頂上まで続いていた。「太極旗(韓国の国旗)や垂れ幕を広げたり、愛国歌 (韓国の国歌)を合唱したり、スローガンを叫んでは絶対にいけません」。朝鮮族のガイドは、何度も念を 押した。入り口に到着した時点で問題なかった空が、頂上に近づくにつれ雲行きが怪しくなり、車から 降りるころには雨が降り出した。それでも全員、せっせと頂上まで足を運んだ。2750メートルの頂上には、 警告文を記したコンクリートブロックが歩哨のように立っていた。「国境を越えることは厳禁、国境秩序を 乱すことは厳禁」「自らの言行に注意し、国民のあり方を守ろう」−。ぎょっとするような警告文(2010年 8月1日付)が、白いコンクリートに漢字とハングルの赤い文字で表記されていた。大きな天池は霧雨に 隠れ、なかなか姿を現さなかった。それでも運よく、高村中学校(京畿道金浦市)の体育教諭、カン・ ハクチュさん(49)さんは「待っていたら少し雲が晴れてきて、天池が3分の1くらい見えた」と話し、小さな 写真を見せながら笑った。
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28 :マンセー名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 17:39:42.86 ID:6HJu5Ohx - ■「歴史教育の土台になる」
このほか探訪チームは、旅順にある日露戦争の戦跡地「203高地」や、瀋陽の9・18記念館(9・18は 1931年9月18日。満州事変の発端となった柳条湖事件が起こった日)、北陵公園などを見学した。今回 のイベントは、1987年から毎年行われている「日本の中の韓民族史探訪」の続編だ。今年の日本探訪は、 3月の東日本大震災で一時中断したため、その代わりとして企画されたツアーだ。新韓銀行とポスコが 協賛した今回の探訪には、考古美術史学界の大家、鄭永鎬(チャン・ヨンホ)檀国大学碩座教授(寄付金 によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)、高句麗の専門家のキム・ヒョンスク東北アジア 歴史財団研究委員、独立記念館のイ・ドンオン責任研究委員らも同行した。またソウル・サムスン病院は 医療陣を派遣した。さらに鄭教授らは、宿舎やバスの中、遺跡で興味深い講義や説明を行い、現場の 理解を深めた。最後の夕食会では、鄭教授が演壇に上がり「私たちは今回、東北3省を駆け足で回り、 古代史から近現代史までの歴史に触れた。安重根義士が苦痛を味わった監獄から、高句麗の遺跡、 東北工程の現場を目の当たりにし、万感の思いだ。(今回の経験を)それぞれが教育の現場で役立てて ほしい」と旅の感想をまとめた。それに、教諭たちは拍手で応えた。洗馬中学校(京畿道烏山市)のイ・ ギソプ教諭(41)は「期待した以上に良かった。生徒たちにも、今回の訪問で見て感じたことをそのまま 伝えるつもり」と語った。 大連・瀋陽・集安=全炳根(チョン・ビョングン)記者
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29 :マンセー名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 17:48:31.03 ID:6HJu5Ohx - 【書籍】 小さな疑惑でも「水拷問…裸にして…」〜日帝下の生活描くヒルディ・カン著「黒い傘の下で」[07/24]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1311478467/ http://www.mediatoday.co.kr/news/photo/201107/96505_84983_311.jpg http://www.mediatoday.co.kr/news/photo/201107/96505_84984_3143.jpg 日帝植民地時期、私たちのおじいさんとおばあさんはどのように暮らしていたのだろうか。日帝時 代、満州と間島(カンド)の独立軍を捕えた間島特設隊に服務した親日派、白善Y(ペク・ソンヨプ) 氏が朝鮮戦争前後で韓国軍将軍として常勝疾走した事例は残酷な時代の私たちの歴史の悲劇 的屈折であり劇的な反転に過ぎない。実際、歴史の中に埋もれた数多くの私たちのおじいさんお ばあさんたちの当時の人生は想像以上に苦痛だったが多様だった。共通的にいうならば数多くの 人々がとても小さい疑いでも日帝の監視と差別に苦しまなければならなかったという点だ。 カリフォルニア大バークレーおよびデービスキャンパスで招へい講師として活動中のヒルディ・カン (Hildi Kang)氏が2001年発行した「黒い傘の下で」が11年ぶりに韓国語で翻訳出版された。ヒル ディ・カンは米国サンフランシスコベイ地域に居住している51人の韓国人のインタビューを通じて 日帝強制占領下朝鮮人の人生の軌跡を追跡した。ここには彼らの解放後の行跡も含まれている。 故キム・チャンド(1911年平安北道出生)氏と夫人故イ・オクヒョン(1907年黄海道生)氏は日帝の厳 しい監視にもかかわらず、農村で民族運動を行った夫婦であった。ヒルディ・カンはサンフランシス コで彼ら夫婦に会おうとしたがキム氏が病気で死亡しイ・オクヒョン氏だけインタビューした。 牧師の娘イ氏はウォンサン女学校で1930年3月光州学生運動(1929年11月)同調デモを行って 警察に捕まったことを覚えている。女子学生を受け入れる所がなくて警察本部まで引きずられて 行ったがそちらでも彼らはずっと万歳を叫んだという。彼らの両親が危険に思いながらも多くの関 心を見せたことに興味と面白みを感じていたとイ氏は回顧した。
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31 :マンセー名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 18:06:55.64 ID:6HJu5Ohx - そうするうちに会ったキム・チャンド氏。同じキリスト教の家の息子のキム氏は1926年水原コドン
農林学校に入学したが農村啓蒙運動に参加すると‘意地’を働かせた。その後キム氏は卒業予備 生だった頃、農夫らに一日中話しかけて‘歴史’、‘農業’、‘反日思想’を教えるなど農村運動に出 た。キム氏は1928年警察に逮捕され、農村運動の主導者級だったキム氏は多くの拷問にあった。 (中略)1990年になってキム氏は韓国政府から抗日活動に対する補償で勲章を受けた。 (中略 >>2-5のあたり) この本にはこの他にもハム・ソコン先生を尊敬して秘密集会を共にし水拷問で裸で労役するよう 強制されたイ・ハジョン(1921年平南生)等多様な履歴の日帝下生活像が生き生きと記録されている。 当時大部分の朝鮮人は単に朝鮮人という理由だけで職場と日常で‘差別’と‘蔑視’を受けなけれ ばならなかった。単に朝鮮人という理由だけで、朝鮮の語り口が残っているという理由で軽蔑され て、左遷されなければならなかった彼らの‘記憶’が明確な‘記録’として残っている。 「生き残るために大部分の人々は迫害にあってもそうしようと思ったがそれは朝鮮人の情緒に非 常に大きな傷であった。」 ソース:メディアトゥデイ(韓国語) 小さい気配にも「水拷問…裸にして…」ヒルディ・カン'黒い傘下で' http://www.mediatoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=96505
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32 :マンセー名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 18:07:38.44 ID:6HJu5Ohx - 故ホン・ウルス(1905年梁山生)氏の話は日帝下貧家出身の立志伝的人物の行路をよく見せる。
彼は貧困から脱っしようとして若い頃、日本に行った。彼はヤクザが運営する市場で‘さくら’商法 を習って金を儲け大学に進学した。一時、日本人共産主義グループに参加し1929年3・1運動10 周年記念式計画中に警察に捕まって投獄された。彼は共産主義を放棄(転向)すると監獄から解 放されて青山大学で教師資格証を取得して帰国した。 しかしすでに日帝の監視対象に上がった彼の帰国後の人生も順調ではなかった。ホン氏は培花 女子高等普通学校教師に就職したが、刑事の監視と教師職を止めろとの脅迫で結局止めるほか なかった。ホン氏は釜山で日本に綿花を輸出する事業を始めた。彼は一方で‘三六会’という秘密 集会を作って啓蒙運動も併行した。 しかし彼の歯のような‘二重生活’は長くは続かなかった。事業が自ら根をおろしたが、事業関係 で親しくなった日本高等警察からブラックリストに自身も含まれているという話を聞いて彼はまもな く自分の過去を誰も知らない田舎(慶北慶山))に行って農作業をした。田舎では珍しく朝日新聞を 購読して性能の良いラジオを持っていた彼はまもなく日本が崩壊することを予想できた。
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33 :マンセー名無しさん[sage]:2011/07/24(日) 18:10:43.74 ID:6HJu5Ohx - 【日韓】 キム・ヨンジン議員、新日本製鉄訪問し朝鮮人強制動員被害補償を要求〜日本政府にも対策求める[07/24]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1311495136/ http://cphoto.asiae.co.kr/listimglink/6/2011072416373723860_1.jpg 世界韓人交流協力機構常任代表のキム・ヨンジン議員(韓国民主党)は先週日本を訪問、新日本 製鉄強制労働韓人被害者補償を求めた。 キム議員は新日本製鉄本社を訪問、「太平洋戦争当時、新日鉄が1万人余りに達する朝鮮人を 不法に連行、強制労働させた事実を日本司法府さえ認めたのだから被害者に対する謝罪と賠償 を直ちに履行しなさい」と強調した。 彼はまた、日本参議院5人と懇談会を持って、日帝強制占領期間の新日鉄の朝鮮人強制連行問 題解決を促す大韓民国国会議員61人の署名が載った建議書を伝達し、「1カ月以内にどんな措 置を取るのか返事せよ」として「万一、適切な解決方案を提示しない場合、国会次元で可能なすべ ての方法を動員して強力に対応する」と明らかにした。 共同署名に参加した61人の議員は韓国民主党38人、ハンナラ党13人、非交渉団体10人だ。 キム・テウォン記者 ソース:広南日報(韓国語) キム・ヨンジン、新日本製鉄朝鮮人強制動員被害補償要求 http://www.gwangnam.co.kr/news/news_view.htm?idxno=2011072416373723860
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