- 愛媛のんまいたこ焼き
256 :はふはふ名無しさん[sage]:2018/04/21(土) 03:50:56.54 ID:lP2/IO73 - 問題の本質を理解していないのは私自身もそうだった。思慮を欠いた一言一言は、私がセクハラを受ける側ではないという属性に根ざしているのは間違いなかった。
19日朝、財務省の福田淳一事務次官のセクハラ疑惑について記事を書くため、私は民放の女性ディレクターの携帯電話を鳴らした。 セクハラの被害は受けたことはありますか。「それはね。言い出したら切りがない」ちょっと教えてもらえませんか。 「いいけど。メールで送ります」この電話で話してもらえれば、メモを取ります。一瞬の沈黙。 答えに詰まった後、返ってきたのは「そんなの恥ずかしい」だった。同業のよしみという勝手な甘えも手伝って、 ぶしつけに証言を強いたことを悔いた。数時間後、送られてきたメールに愕然とした。〈取材相手に 「やろうよ。やらないと相性が分からないじゃん」と言われた〉〈上司に抱きつかれ下半身を押しつけられた〉 「恥ずかしい」どころではなかった。わいせつ事件と呼ぶべき被害を受けていながら、封印しなければならなかった二重、 三重の苦しみを思った。簡単に口にできるはずがなかった。言葉にするには記憶を呼び起こさなければならない。 そして実際に話すという行為は、自分は辱められた、もてあそんでよい存在とみなされたということを自ら再確認する作業にほかならない。 その屈辱を乗り越え、ようやく第三者に伝えることができたとしても、大抵は「よくあることだ」 「うまく立ち回れ」などと被害が軽く見積もられる。尊厳が軽んじられ、踏みつけにされるという人権侵害はここでも繰り返される。 それが分かっていて、どうして自ら傷をさらすことができるだろう。電話口で気安く教えてくださいなどと求めた自分の振る舞いに恥じ入るほかなかった。 女性たちは沈黙を強いられてきた。そうして被害はなかったことにさせられてきた。黙らせている側にこそ目を向ける必要があった。 19日夕、福田事務次官のセクハラ発言報道を巡る財務省の調査方法に抗議する署名を呼び掛けた弁護士が開いた会見は、 沈黙を強いてきた側、被害をなかったことにしたい側の問題をただすものだった。報道各社に女性記者への 「協力」を要請しながら、その告発先が財務省の顧問弁護士であるという倒錯。
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